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「観客のヤジもつらかった」加藤豪将19歳がマイナーリーグで受けた“洗礼”…「このままではダメだ」挑んだ覚悟の肉体改造「食べ過ぎて吐き気が…」
text by
四竈衛Mamoru Shikama
photograph byGetty Images
posted2023/06/12 11:00
2013年ドラフトでヤンキースから2巡目指名をされた加藤豪将。マイナーリーグの下部でプレーした10代に、思わぬ“洗礼”が待ち受けていた
最長16時間のバス移動に、初めてのナイター経験。
開幕直後、いきなり壁にぶつかった。1Aとはいえ、世界各国から若手の精鋭が集結し、しのぎを削る登竜門のリーグ。高校時代から注目されてきた加藤でも、明らかなレベルの違いを感じた。遠征地へのバス移動が最長16時間に及ぶことも日常だった。ナイターの経験がなかったこともあり、当初はボールが見えづらく、打率は1割台に低迷した。
「ルーキーリーグは高校のエクステンション(延長)と言ってもいいぐらいだったので、高校時代と同じスイングでも結構いい成績が出せました。でも、レベルが2つぐらい上がったら、ボールはもっと動くし、スピードも速い。捕手も投手も頭がいい。ボールをシンで捉えるためにも、フォームを変えなきゃいけないと思いました」
感覚的には捉えたはずの打球がイメージ通りに飛ばず、凡打を繰り返す。スピードが速いうえに鋭い角度で小さく動くボールは、予想していた以上に厄介だった。
「このままでは、ダメだと思いました」
同じことを繰り返していても、前には進めない。悩んだ末、加藤はスイングスピードを上げ、バットを最短距離で出すために、打撃フォームを鋭くコンパクトな形に改良することを決断した。その結果、後半戦はコンスタントに安打が出るようになり、打率を2割2分2厘まで上げて、実質的なプロ1年目を終えた。
「加藤豪将の野球」が少しは通用するようになった。
「毎日プレーするのが大変でしたし、観客のヤジもつらかった。ただ後半戦は、普通の加藤豪将の野球をやったら少しぐらい通用するようになりました。次の年につながるような結果になって良かったです」
マイナーとはいえ、潜在能力だけで結果を残せるほど簡単な世界ではない。新しい環境に入り、戸惑いを感じ、レベルの差を痛感しても、自分で考えて対応し結果につなげる。20歳の誕生日を迎える前の時点で、既に加藤はプロとして生き抜く術を身につけていた。
手応えを感じとった一方で、加藤は明確な課題も認識していた。元々、食が細く、オフ期間にトレーニングに励んでも体重が減ることが少なくなかった。シーズン終了後、ヤンキースから渡されたオフ期間の練習メニューには、体重増加を目的とする食事トレーニングも含まれていた。