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「ヒザ手術後は自分の足じゃない感覚。この足、誰の足?って」高3で絶望した女性スイマーが五輪出場を果たすまで〈寺村美穂さんに聞く〉 

text by

茂野聡士

茂野聡士Satoshi Shigeno

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photograph byAtsushi Hashimoto

posted2023/04/09 11:02

「ヒザ手術後は自分の足じゃない感覚。この足、誰の足?って」高3で絶望した女性スイマーが五輪出場を果たすまで〈寺村美穂さんに聞く〉<Number Web> photograph by Atsushi Hashimoto

寺村美穂さん。ケガとの戦いを経て2度の五輪にたどり着いた

「もちろん怖かったです(笑)。手術後に100%、手術前の自分に戻れるか……もっと言えばそれ以上の自分になれるかというのは分からないので。でも“4年後”を見据えた際に何かを変える、という意味で覚悟を決めました。それでも色々な人に相談しましたし、最終的に決断したのはオリンピック選考会が終わってから1カ月後くらいでしたね。

 一番つらかったことは、“高校3年生の1年間を棒に振ることが決まる”というものでした。高校最後の全国大会であるインターハイに出られないことが手術をする時点で決まる。学校もすごく強いチームで、何か迷惑をかけてしまような思いだったり、部員のみんなと一緒に楽しめないというのも会って迷っていました。でも『目の前のインターハイで結果を出したいけど、その上を目指したい』と自分の中で切り替えて決断ができたんです。高校のチームメートもクラブの人たちも否定する人は一切いなかったのも大きくて、手術にマイナスなイメージを持たず臨めたのは大きかったです」

初めて“水泳がつまらない”と感じた

――その決断後、実際に手術に臨んだ直後の寺村さんはどんな状態だったんでしょうか。

「手術から1カ月ほどプールを離れました。そもそも3歳の頃から1カ月泳がなかったという経験がなかったので(笑)、早くプールに戻りたいなと思っていました。でもそれとともに強く印象に残っているのは手術が終わった瞬間の感覚です」

――手術後の感覚とは?

「もう自分の足じゃない感覚なんです。そもそもですが、まず自分の力で足を動かすことができず、手で足を動かさなければいけなかったんです。本当に“この足は誰の足なんだ?”と思ったほどですから(笑)。そこから1カ月、松葉杖をついていた影響で、歩く力すらも使っていない。そうなると一切筋肉がなくなって棒のようになって、左足と比べて右足が本当に細くなってしまうんです。松葉杖なしで足をつけて歩くだけでも、右足が筋肉痛になってしまうレベルでしたから。

 毎日のように入っていたプールなんですが、全然違うものに感じました。最初に入った時はまず全く足を使ってはいけない状況で、ただ手を回すだけの状態でもどかしさを感じました。練習自体も普通に泳ぐのではなく、チューブを自分にくっつけて、同じ場所で20~30分くらいずっと泳ぎ続けるものでした。みんなはずっとプールをグルグルと泳いでいる中で、私だけ1メートルも進まずに、ただただ泳ぎ続けて……こんなに面白くないんだな、って(笑)。同じ床を見て、さらに足も動かせず手だけ。“水泳がつまらない”と感じたのは、それが初めてだったかもしれません」

 ヒザの手術によって一度は心身ともに完全に落ちてしまったのは事実だった。ではどうやってリバウンドメンタリティを発揮し、五輪切符を掴み取ったのか? 第2回では寺村さんが復活するまでのプロセス、さらに大一番で訪れた“ゾーン的な記憶”について聞いてみた。

#2につづく>

#2に続く
私は競泳日本選手権で“ゾーン的感覚”を味わった…「ラスト25mで我に返って“キツい!”って」「今見てもアホみたいに突っ込んでるなと」

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