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「筑波大では浦島太郎状態だった」20歳で退部“後ろめたい思い“があった母校になぜ戻った? 37歳平山相太が指導者として今、目指すもの 

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安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph byNaoki Morita/AFLO SPORT

posted2023/03/07 11:00

「筑波大では浦島太郎状態だった」20歳で退部“後ろめたい思い“があった母校になぜ戻った? 37歳平山相太が指導者として今、目指すもの<Number Web> photograph by Naoki Morita/AFLO SPORT

筑波大大学院に通いながら、母校の蹴球部でヘッドコーチを務める平山相太(37歳/写真は昨年の天皇杯2回戦)

 大学1年時の04年はU-23日本代表の活動に参加。同時にU-19日本代表の活動もこなしたことで、遠征が重なり、授業に参加することすら難しかった。

「半年くらい経つと(大学では)浦島太郎状態でした。代表合宿から帰ってきて授業に参加したら、教授が何を言っているかわからない。学びたいという意欲はめちゃくちゃあるのに、何も理解できない。友だちにノートを見せてもらってもついていけなくて……。周りはどんどん賢くなっているのに、僕だけが取り残されているような気持ちになりました」

 一方で、ことサッカーに関しては順調に飛躍のステップを踏んでいた。04年8月のアテネ五輪にはサッカー競技では史上最年少の出場を果たし、大学リーグでも兵働昭弘、藤本淳吾ら先輩たちと共にリーグ優勝に貢献。05年にはジュビロ磐田の練習に参加し、6月には自身2度目となるワールドユース(現U-20W杯)オランダ大会に出場している。大会終了後にはフェイエノールトの練習に参加をするなど、着実に階段を登っていた。

「サッカーではどんどん自信がついていくのに、授業ではどんどん自信を奪われていく。このギャップはかなり悩みました。もちろん、それでもやる気は落ちなかったし、大学生活で周りに流されて遊んでしまうことはなかった。でも、授業にはさらについていけなくなっているし、単位が全然取れない。ずっと『やばい』という不安が募っていって、余計に苦しかったですね」

20歳で決断したオランダ挑戦

 ワールドユースオランダ大会から帰国した翌月「海外でプレーしたい」という気持ちに火がついた当時20歳の平山は、オランダ・エールディビジのヘラクレス・アルメロと複数年契約を結ぶ決断をする。

 選手寿命は決して長いものではない。チャンスに飛びつくのはサッカー選手としては当然の選択である。ただ、その決断は同時に大学生活に別れを告げるものでもある。平山は熱量そのままに筑波大蹴球部から飛び出して海を渡った。

 それでも、通常であれば自主退学をするところ、あえて“休学”という形を選んでいる。それは途中で投げ捨てることにためらいがあったからだろう。

「やっぱり大学はきちんと卒業したいという思いがありました。ストレートに言うと、悔しかったんです」

 本人は当時のことを「あまり覚えていないんですよ」と言葉を濁したが、オランダで2シーズン目を迎えようとしていた06年4月頃に退学届を提出したと報道されている。大学側が設ける休学期間のリミットなども背景にあったはずだが、当時は退路を断つ意志もあっただろう。

 ただ同年9月にFC東京に復帰する際、「学業との両立」を優先条件に移籍先を模索していたことも明かしている。すべては自身が決断したことだが、その時に心の奥底に引っ掛かったものはずっと残ったままだった。

「サッカーを一生懸命やればやるほど、『もっと勉強すればよかった』と思うようになりました。大学生として過ごした1年半、もっと休みを有効活用して勉強に打ち込んでおけば、もっと違った大学生活を送れたんじゃないか、もっと有意義なことを学べたのではないかという思いが膨らんでいきました」

【次ページ】 「もう一度学び直したい」

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