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〈W杯選出・落選の舞台ウラ〉カズを外した岡田武史「いい人だと言われたいです。でも」、大久保嘉人「最後のサプライズで…」 

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2022/11/01 17:25

〈W杯選出・落選の舞台ウラ〉カズを外した岡田武史「いい人だと言われたいです。でも」、大久保嘉人「最後のサプライズで…」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

それぞれブラジルW杯、南アフリカW杯で「サプライズ選出」された大久保嘉人と川口能活

「出場の可能性が限りなく低いのは、最初から分かっていたこと。ケガが癒えたけれど、リハビリの延長にあるような僕を必要としてくれたことには、ホントに感謝してるんです」

 だが、2試合目のオランダ戦後に行われた練習試合に出場した川口は「身体が喜びましたよ」と独特の言い回しで餓えた思いを吐露している。「チームを盛り上げることを第一に考えていますけど」と頭で理解しながらも、W杯という大舞台の高揚を抑えきれない正直なベテランの姿がそこにあった。

<名言3>
努力は裏切らない。
(巻誠一郎/Number654・655・656号 2006年6月1日発売)

◇解説◇
「ヤナギサワ、タマダ、……マキ」

 ジーコ監督の読み上げたドイツW杯23人メンバー発表、最後の名前を聞いて記者陣がどよめいたのも無理はない。巻は2006年3月30日のエクアドル戦後に「もう代表に呼ぶことはないだろう」とジーコ監督本人から“非情通告”をされていたのだから。

 それでも巻は、泥臭くプレーし続けた。Jリーグで結果を残すと、“最終選考”の舞台となった5月の親善試合でブルガリア相手にゴールを決め、スコットランド戦にも途中出場。その翌日には所属するジェフのナビスコカップに後半途中から“連闘”で途中出場するなど、タフさをアピールした。結果、代表当確とみられながらコンディション不良に陥っていた久保竜彦に代わって選ばれた。

 W杯メンバーに選出されたことについて、当時ジェフで指揮を執っていたイビチャ・オシム監督も喜んでいたという。プロ入り当初は「巻の技術はプロじゃ通用しない」と酷評された巻だったが……最後まであがいた結果、その努力がサプライズ選出として実ったのだった。

日韓W杯、中村俊輔とトルシエと「左サイド」

<名言4>
中村は、スタメン候補の中では15番目の選手。スタメン候補は13、14人。この14人の中に入らないと、彼には自宅でW杯を見るという厳しい現実を伝えないといけない。
(フィリップ・トルシエ/Number548号 2002年4月25日発売)

◇解説◇
 2002年、日韓W杯まで2カ月を切っていた時期に、日本代表監督のトルシエは中村俊輔に厳しい“現状序列”を突きつけた。トルシエ体制の代名詞と言えば「フラットスリー」だが、当時の主戦フォーメーションである〈3-4-1-2〉において、中村の想定起用ポジションはトップ下ではなく左サイドハーフだった。

 トップ下は中田英寿、森島寛晃、小笠原満男、右サイドハーフはバランサーである明神智和で固まりつつある中、攻撃面でも力を発揮できる左サイドハーフは中村だけでなく小野伸二、そして日本国籍を取得した三都主アレサンドロがアピールを続ける大激戦区となっていた。

 中村にとっての心の拠り所は、横浜F・マリノスで結果を出せば代表でもチャンスをもらえるだろうという小さな自信だった。そして俊輔自身も「結局は、いつも同じ結論に辿り着く。誰もが認める選手になればいいわけ」と語っていた。

 だが……トルシエは中村をメンバーから外す決断を下したのだった。

岡田監督が語った「逃げ隠れする気もない」

<名言5>
最善かどうかわからないけど、日本代表を考えての決断であったことには自信がある。逃げ隠れする気もない。
(岡田武史/Number654・655・656号 2006年6月1日発売)

◇解説◇
 日本国民にとってW杯メンバーにおける“最初の衝撃”となった出来事は1998年、フランスW杯に臨む22人のメンバー発表の瞬間だろう。

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