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豚の頭が飛んだフィーゴへの愛憎…“クラシコの異常な喧騒”はもう戻らないのか? 倉敷アナ「かつての物語的な面白みが」 

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吉田治良

吉田治良Jiro Yoshida

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2022/10/16 17:03

豚の頭が飛んだフィーゴへの愛憎…“クラシコの異常な喧騒”はもう戻らないのか? 倉敷アナ「かつての物語的な面白みが」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

2000年夏にバルセロナから宿敵レアル・マドリーに電撃移籍したルイス・フィーゴ。当時史上最高額の移籍とあって“裏切り者”のレッテルを貼られた

「バルサとは武器を持たないカタルーニャの軍隊だ」

 地元バルセロナの作家はそう表現したが、先鋭化したクレの怒りは、たった2年では静まるはずもなかったし、あれから20年以上の月日が流れた今もまだ、両者の遺恨は続いている。その証拠に、すでに引退したフィーゴがOBとしてフレンドリーマッチに出場することすら、バルサは許していない。

 最近では安売りされることも多くなった「禁断の移籍」というフレーズだが、近代フットボール史において、これを上回るタブーは他にない。5年間、深い愛情を注いできたエースが、あろうことか永遠のライバルのもとへと去ったのだ。その衝撃の大きさは、バルサのリオネル・メッシがパリ・サンジェルマンではなく、マドリーに移籍したと想像すれば、分かりやすいだろう。

首脳陣の評価に不満を抱いていたフィーゴ

 当時の2つの会長選(マドリーがロレンソ・サンスからペレスへ、バルサがジョゼップ・ルイス・ヌニェスからジョアン・ガスパールへ会長が交代)に乗じて、フィーゴが年俸の引き上げを画策した結果、より好条件を提示したペレスのマドリーに鞍替えしたという説が、移籍の真相として一般的に語られている。しかしその一方で、バルサの新会長に就任したガスパールの評価が不当に低かったのも確かなようだ。

 フィーゴ自身も、のちにこう語っている。

「あの時は、自分がバルサの首脳陣に認められていると感じられなかった。選手として相応の評価をされなければ、他のオファーを検討する必要があるのは当然のことだ」

 ただ、いずれにせよこの禁断の移籍が、その後のビッグ2の明暗を分けるターニングポイントになったのは間違いない。フィーゴを皮切りに、ジネディーヌ・ジダン、ロナウド、デイビッド・ベッカムとビッグネームを立て続けに獲得し、まばゆい「ガラクティコス時代」を築いたマドリーに対し、フィーゴを失ったバルサは暗黒時代の深みにはまる。一度は更迭したルイス・ファン・ハールを呼び戻し、この指揮官と対立していた大黒柱のリバウドが退団するなど、絵に描いたような迷走。バルサの再浮上は、03年夏のロナウジーニョ到来を待たなくてはならない。

 そして、これをピークに、クラシコからも徐々に「狂気」が薄れていく。

【次ページ】 「物語的な面白みはなくなってしまった」

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