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「バルサの練習に参加できないか」頼んだ相手はまさかの…岩本輝雄が振り返る引退前の仰天エピソード《戦友・森保監督への要望》

posted2022/04/08 17:04

 
「バルサの練習に参加できないか」頼んだ相手はまさかの…岩本輝雄が振り返る引退前の仰天エピソード《戦友・森保監督への要望》<Number Web> photograph by Ichisei Hiramatsu

度重なるケガにも泣かされたサッカー人生を振り返った岩本輝雄。懸命にリハビリに励んでいた頃、幸運に恵まれた

text by

飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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Ichisei Hiramatsu

#2に引き続き、岩本輝雄氏のインタビューをご覧ください(全3回の3回目/#1#2へ)。

 2004年5月の試合中に右足首の靭帯を断裂した岩本輝雄は、懸命のリハビリと2度の手術も実らず、復帰の目処が立たないまま、名古屋グランパスを退団することになった。

 引退するつもりはなかったが、サッカーができる状態でもなかった。

「とにかく足首が痛くて。ただ、太っちゃいけないし、肺の機能を落としちゃいけないから、足を引きずりながら毎日のように100メートルを72本走ったよ。でも、普通に歩くのもキツくて。そうしたら今度はヒラメ筋っていう、すねのところが痛くなって」

 2度目の無所属となった岩本は、それでも夏にメキシコでの現役復帰を目指し、懸命にリハビリを続けた。その本気度はこんなところからも伝わってくる。

 05年3月、まずは川崎駅前の語学学校で、その後は個人教師を雇って、スペイン語の習得に励むのだ。

「中田(英寿)も『言葉ができれば、日本人でも海外でやれる』と言っていたからね。始めてみたら、これがけっこう面白くて、週3くらいマンツーマンで勉強したの」

 言葉を覚えるにつれ、実践したくなるのは自然の流れだろう。4月、岩本は観光でバルセロナを訪れた。

「ひとりでブラブラしてね。お店に日本人がいたらどんどん話しかけて、『サッカーやっていたんです』と言ったら、サッカー関係者を紹介されて、それがどんどん繋がっていって。今、FC東京の通訳をやっている村松(尚登)ともそのときに知り合った。サッカーを観るつもりはなかったんだけど、バルサ対ヘタフェの試合を観に行ったら、ロナウジーニョやデコ、(サミュエル・)エトーが活躍して、すげえなって。そのとき初めて(アンドレス・)イニエスタを見て、20歳くらいだったのかな、若いのに、すげえうまいなって。それでバルサにハマって何度も通うようになったんだ」

「練習に参加できない?」ライカールト監督に直談判

 こうしてFCバルセロナのファンとなった岩本に、思わぬ幸運が訪れる。

 05年7月、バルサが横浜F・マリノスとのプレシーズンマッチを行うため、来日を果たす。その通訳が、バルセロナ旅行で知り合った女性だったのだ。

「『チームの泊まっているホテルに遊びに来れば?』と言ってくれて。ホテルのラウンジに行ったら、ちょうど(監督のフランク・)ライカールトがいてさ。片言のスペイン語で『自分は選手で、今度、メキシコにテストを受けに行くんだけど、その前にバルサの練習に参加できないか』って冗談で言ったら、『オーケーだ』って言うの。『7月15日からカンプノウで練習を始めるから来い』って。入り口に着いたら『ミスターを呼べ』と。『そう伝えれば、俺が出ていくから』って」

 チームは日本遠征を終えて帰国したあと、ホームスタジアムで1週間トレーニングをしてから中国遠征に向かう予定となっていた。その練習への参加許可が、なんと監督直々に下りたのだ。

「マジかよ! って。ほんと行きたかったし、行こうとしたんだよ。でも、足首の調子が悪くて行けなかった。行っていたら、どうなっていたかな」

【次ページ】 「見てみな、肉まで腐っちゃってるよ」

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