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平野歩夢“不可解な採点”直後の神ワザ… 「北京は特別な五輪になる」という予言と、憧れの宿敵ショーン・ホワイトの祝福

posted2022/02/11 20:00

 
平野歩夢“不可解な採点”直後の神ワザ… 「北京は特別な五輪になる」という予言と、憧れの宿敵ショーン・ホワイトの祝福<Number Web> photograph by Naoya Sanuki/JMPA

日本史上初となるスノーボード金メダリストとなった平野歩夢

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NumberWeb編集部

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Naoya Sanuki/JMPA

雑誌「Sports Graphic Number」と「NumberWeb」に掲載された記事のなかから、トップアスリートや指導者たちの「名言」を紹介します。今回は平野歩夢にまつわる4つの言葉をこれまでの名シーンとともに振り返ります。

<名言1>
自分らしい滑りができたと思うので、結果もついてきてよかったし、楽しかったです。
(平野歩夢/NumberWeb 2014年2月13日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/785608

◇解説◇
 「アユム・ヒラノ」の名前が世界に知れ渡ったのは、2013年1月のこと。当時14歳で出場した「X Games」で、今も真骨頂の高いエアを見せるなどのハイパフォーマンスで、憧れだったというショーン・ホワイトに次ぐ準優勝を果たした。その年の8月にはW杯開幕戦で初優勝を飾るなど実力を磨くと、2014年のソチ五輪でも思い切りの良さを見せる。

 1回目90.75点、2回目で93.50点とハイレベルな点数をマークすると、中学生にして銀メダルを獲得。銅メダルを獲得した平岡卓とともに、日本史上初のスノーボード競技メダリストとなった。さらにはこの時点で15歳74日だった平野は、冬季五輪における史上最年少メダリストともなったのだ。

「オリンピックを目標に小さい頃からやってきて、思ったより成績が出て、最年少メダリストという歴史に残るようなことができて、今後の自信にもつながると思います」

 4歳の頃から親しんだスノーボードで、世界への扉を開いた平野。その輝きは4年後の平昌、そして8年後の北京でさらに増すことになった。

ショーン・ホワイトとの伝説の激闘

<名言2>
彼には天から与えられた才能と情熱がある。アユムなら“アユム・ヒラノ”を貫くはず。
(ショーン・ホワイト/Number950号 2018年4月12日発売)

◇解説◇
 19歳となった平野が挑んだ2018年平昌五輪。この舞台で、スノーボード界のスーパースター、ショーン・ホワイトと語り継がれる名勝負を繰り広げた。決勝1本目で平野が35.25に終わったのに対し、ホワイトはダブルマックツイストなどをすべて成功させて94.25の高得点でトップに立った。

 普通なら重圧を感じても致し方ないのでは……と思う2本目で、平野は魅せた。FSダブルコーク1440、キャブダブルコーク1440と決勝用にとっておいた連続4回転技を成功させて、95.25とホワイトをかわして首位に立った。

 ホワイトの2本目、平野の3本目の数字が伸びず、他選手も2人の数字には届かず、競技は最終走者のホワイトを残すだけになった。しかしホワイトはこの3本目で平野と同じFSダブルコーク1440、キャブダブルコーク1440を自身初めて成功させ、FS540、ダブルマックツイスト、FSダブルコーク1260と決めて97.75。恐るべき勝負強さで頂点へとたどり着いた。

【次ページ】 僕はスピンよりも高さで魅せたい

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