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宮本慎也も鳥谷敬も…「ショート30代半ばで限界説」33歳になる“巨人史上最高の遊撃手”坂本勇人は限界突破できるか? 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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photograph bySankei Shimbun

posted2021/11/19 17:10

宮本慎也も鳥谷敬も…「ショート30代半ばで限界説」33歳になる“巨人史上最高の遊撃手”坂本勇人は限界突破できるか?<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

2006年高校生ドラフト会議、繰り上げ1位で巨人から指名された坂本勇人。12月に33歳の誕生日を迎える

「中でも感心したのが、勇人の守備に対する向上心です。生存競争が激しい巨人というチームで5年以上もレギュラーを張っているにもかかわらず『もっとうまくなりたい、上を目指したい』という向上心は、彼より10歳以上年上の僕も大いに学ばなければならない、と思わせるものでした」

 昭和の時代はチームの垣根を超えて先輩に教わるハードルも高かったが、国際大会にプロが参加するようになり、球界の常識も変わった。第1回のWBCが開催されたのが2006年。高校3年生の坂本が巨人からドラフト1位指名された年にWBCは始まっている。つまり、88年生まれの坂本勇人は、若手時代から日本代表チームで偉大な選手たちから直接話を聞く機会に恵まれた走りの世代というわけだ。“スペシャル・ワン”は、才能と環境と時代が絶妙なタイミングで合致して世に出たのである。

監督・原辰徳「最後の大仕事」

 なお、坂本の先輩であり、前巨人主将の阿部慎之助は15年に36歳で捕手から一塁転向。その後も現場は毎年のように阿部の捕手復帰を目論んだが、背番号10の満身創痍の身体が悲鳴を上げ断念している。功労者である大黒柱のポジションがはっきりしない。その間、補強を含むチーム編成も後手に回ってしまった感は否めない。愛と幻想のシンちゃん問題。捕手に遊撃とポジションは違えど、いつの時代も偉大な前任者からの継承のタイミングは難しい。巨人はこの時の反省を生かすことができるだろうか。

 原監督は来季から新たに3年契約を結んだが、第2次政権時は「阿部の次のチーム」を作る前に電撃辞任してしまった。いきなり丸投げされ、苦しみあがきながら岡本和真という新たな主砲を育てあげたのは、高橋由伸監督である。

 2024年、タツノリの3年契約が終わるとき、坂本は36歳になっている(偶然にも、阿部が一塁転向した年齢だ)。その時、背番号6はまだ最前線で“生涯一遊撃手”としてショートを守り続けているのか、それとも別の守備位置で通算3000安打に向けてリスタートを切っているのか――。

 どちらにせよ、今度こそ未来に向けて「坂本のチームの次」を逃げずに作らなければならない。それが、坂本勇人を抜擢し育て、ともに歩んできた監督・原辰徳に求められる最後の大仕事になるだろう。

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