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元讃岐の守護神で元FC東京広報、家木大輔はなぜポルシェに転職した? 恩師・北野誠監督の言葉と、石川直宏がつないだ縁 

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松本宣昭

松本宣昭Yoshiaki Matsumoto

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posted2021/06/29 17:00

元讃岐の守護神で元FC東京広報、家木大輔はなぜポルシェに転職した? 恩師・北野誠監督の言葉と、石川直宏がつないだ縁<Number Web> photograph by Yoshiaki Matsumoto

現役を引退後はJクラブの裏方として活躍してきたが、サッカーとは違う畑での挑戦を選んだ家木大輔さん

 ところが、現実は甘くない。このオフ、家木は再び「年俸0円」の契約書を渡された。バイトをしながらのプレーではなく、27歳での現役引退を意味していた。

 契約交渉の席上、当時の強化部長から「このままウチで働かないか? 現場でも、フロントでもいい」と打診された。家木は自分を正GKに抜擢してくれた恩師・北野誠監督(現・ノジマステラ神奈川相模原監督)に相談した。

「お前のような人間にフロントをやってほしいし、やってくれたら嬉しい。一緒に戦いたい」

 この言葉に、背中を押された。

「正直、トライアウトなどを受けようかとも考えました。Jリーガー、羨ましいですよ(笑)。でも、自分の身の程もわかっていました。現役に固執して、指導者になって、例えば50歳になったとき、そこからいきなりビジネスができるのかと考えると、僕にはできない。じゃあ、27歳の今しかないと。北野さんの言葉で、決意が固まりました」

引退後は「とにかく働きまくった」

 2014年から、家木は「運営担当」を任された。リーグや対戦相手との連絡、試合の告知ポスター制作、スタジアムの設営、ボランティアの手配、会場内飲食店の調整などなど。スタッフ数の少ない当時の讃岐では、ありとあらゆる仕事をこなした。

「とにかく働きまくっていましたね。あまりに睡眠時間がなくて、試合後のJリーグの担当者との面談で、居眠りしてしまったくらい。1年目のジュビロ磐田とのホーム開幕戦には、1万人以上のお客さんが入ってくれたんですけど、僕の見通しが甘くて、帰りのシャトルバスが全く足りなかった。大問題になって、お客さんや周りのスタッフに迷惑をかけて。申し訳なかったですね」

 そんな失敗を重ねながらも、猛スピードで仕事を覚えた。選手でも、スタッフでも。プロサッカーの世界では、結果を残せばステップアップの道が拓ける。

「仕事のできるやつが、そうやって讃岐から外に出て行くのは、いいことだ」

 これも、北野監督からもらった言葉だ。2016年、家木はFC東京へ“移籍”し、広報担当となった。

「讃岐で2年間働いて、僕が周りから『違うんじゃないか』と言われることは、ほとんどなくなりました。要は僕の意見が通ってしまう。そこで思ったのが、この状況であと5年働いた自分と、外の世界で一から5年間勉強した自分とでは、将来どう違うだろうと。それまで経験したことや学んだことを振り返って、やっぱり挑戦する方が圧倒的に自分らしい。僕は成長するために、世界を広げるために、挑戦し続けたいタイプ。泳ぎ続けないと死んでしまう、マグロみたいなもんです」

【次ページ】 地方のJ2→首都のJ1へ“移籍”

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