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「雪崩で行方不明の可能性も」冬のアラスカで”遭難”して…ある世界的登山家が「引退」を決断した瞬間

posted2021/01/30 17:04

 
「雪崩で行方不明の可能性も」冬のアラスカで”遭難”して…ある世界的登山家が「引退」を決断した瞬間<Number Web> photograph by Masatoshi Kuriaki

2001年のフォレイカー(5304m)で栗秋が撮影した写真。最終キャンプの雪洞内から見たデナリ

text by

中村計

中村計Kei Nakamura

PROFILE

photograph by

Masatoshi Kuriaki

 史上最年少でデナリ(6190m、米アラスカ州)の冬季単独登頂を果たした世界的な登山家、栗秋正寿(48)が、事実上の「引退」を表明した。九州工業大の山岳部時代の後輩である河原畑健の言葉が忘れられない。「結婚と子どもの誕生は山を辞める二大チャンス。でも栗秋さんは結局、(山へ)行っちゃいましたからね」。一流の登山家たちは命を落としかけても、再び、何事もなかったかのように山へ向かう。彼らが山を辞めるとき――。それは命を落としたときなのではないか。そんな不吉な思いにかられることがある。栗秋も同じだった。しかし、栗秋は無論、まだ生きている。彼はなぜ山を辞める決断をしたのか。きっかけは、2016年の人生初の遭難だった。(全3回/#2#3へ)

「救助を要請するときは山を辞めるとき」

――2016年4月、栗秋さんは、アラスカ州のデナリ国立公園にあるハンターという山で遭難し、救助されました。アラスカの山中ですから、まだまだ、相当に雪深い時期です。初めての遭難、ということになるのでしょうか。

栗秋 実際は、遭難を回避するために救助を要請した、というのが正確なところです。雪崩の危険性が高まり、最後は、動かないという決断をしました。なので、ひどい凍傷を負ったり、衰弱していたということはまったくありません。体は元気でした。それでも、おそらくは「気象遭難」の部類に入るのだと思います。

――以前、栗秋さんは「救助を要請するときは山を辞めるとき」というような発言をされていた記憶があります。

栗秋 そういう思いはありました。安易に救助を呼ぶべきではないという自分への戒めでもあったんですかね。そもそもデナリ国立公園(約2万4400平方キロ)は、四国よりもさらに大きいくらいの面積があります。そこに1人で入っていくわけですから。冬季のアラスカは救助を期待して入るようなところではないんです。

――栗秋さんは1995年に初めてアラスカの山に登って、それから20年以上、冬のアラスカ通いを続けていました。アラスカ三山と呼ばれるデナリ(6190m)、フォレイカー(5304m)、ハンター(4442m)の冬季単独登頂を目指されていたわけですが、その残る一つがハンターでした。デナリは2度目、フォレイカーは4度目の挑戦でクリアしました。フォレイカーは冬季単独では世界初、ハンターも達成すれば世界初の偉業になるはずでした。ハンターは何度、トライしたのでしょうか。

栗秋 2016年は9回目でした。1月21日に登山を始めて、入山63日目となる3月23日、3230m地点で登頂を断念しました。そこから下山を始めたのですが、翌24日に季節外れのドカ雪が降ってしまいまして。積雪120㎝以上はあったと思います。そのため、食料や燃料の少ないキャンプ2(2620m)での停滞を余儀なくされてしまったんです。食料は7日分、燃料は12日分くらいでした。

ボタンを押すとき、躊躇しませんでしたか?

――SOSの発信は、スポットと呼ばれる位置情報を知らせる発信機で行うわけですよね。

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栗秋正寿

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