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中村俊輔はレッジョで逞しくなった。
セルティックの英雄となる男の秘話。

posted2020/04/11 20:00

 
中村俊輔はレッジョで逞しくなった。セルティックの英雄となる男の秘話。<Number Web> photograph by Naoya Sanuki

日韓W杯落選後のセリエA挑戦。レッジーナで中村俊輔はプロサッカー選手として逞しくなった。

text by

弓削高志

弓削高志Takashi Yuge

PROFILE

photograph by

Naoya Sanuki

『Sports Graphic Number』は創刊1000号を迎えました。それを記念してNumberWebでも執筆ライター陣に「私にとっての1番」を挙げてもらう企画を掲載します! 今回はイタリアサッカーを長年取材している、弓削高志氏によるレッジーナ時代の中村俊輔について――。

「どこか、いいレストランを知りませんか?」

 突然の電話の主は『Number』編集者のIさんだった。今から16年前の秋の話だ。

 レッジーナでプレーする中村俊輔へインタビューするため、担当ライター氏とイタリア半島の果てまではるばるやって来たものの、予定していたレストランが急遽休みになって困っている、という。

 料理が美味いのはもちろん、できれば食事中やその後のインタビューが邪魔されないような落ち着いた客層の店を……とIさんは付け加えた。

 現地暮らしの僕はすぐに心当たりのある一軒が頭に浮かんだので、オーナーに連絡を取り快諾をもらった。Iさんからは熱烈な感謝の言葉を頂戴し、同席する許可ももらって食事と取材がスムーズに行われたのを見届けた。

 取材がお開きになり、店の外の街路樹の下でタクシーを待っていると、俊輔が語りかけてきた。

「落ち着いてて、雰囲気いい店っすね」

3シーズン目、ユーべ戦での衝撃。

 南イタリアで、町のセリエA選手がふらりと現れればそのレストランは大騒ぎだ。

 当時新婚だった彼にはプライベートでの憩いの場が必要だったのだろう。騒がれない店が気に入ったらしく、俊輔は「また来ますよ」と告げ、その後実際に何度か足を運んだらしい。

 地元画家の抽象画に彩られた瀟洒な店内には、小さな写真が1枚だけ控えめに飾られるようになった。満面の笑みのオーナーが、Tシャツ姿のレッジーナの10番といっしょに映る一葉だ。

 僕は『東京スポーツ』の“俊輔番”通信員だった。

 イタリアやスコットランドで、はたまたポルトガルやウクライナで、彼の声を拾いながらいろいろな経験をさせてもらった。

 レッジーナ時代の忘れられない試合はいろいろあるが、最も興奮したのは在籍3シーズン目、2004年11月6日のセリエA第10節ユベントス戦だ。

【次ページ】 ブッフォン、ネドベド、デルピエーロ。

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