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元木大介と巨人の30年と大森剛。
アイドル、クセ者、ヘッドコーチ。

posted2019/12/22 11:40

 
元木大介と巨人の30年と大森剛。アイドル、クセ者、ヘッドコーチ。<Number Web> photograph by Kyodo News

元木大介が原巨人のヘッドコーチとしてフィットする。こんな未来を思い描いた野球ファンはどれほどいることだろう。

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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Kyodo News

「ユニフォームを脱ぎます。お世話になりました」

 2005年秋、33歳の若さで現役引退を決めた元木大介は最初に原辰徳に電話をかけたという。

『クセ者 元木大介自伝』(双葉社)に詳しく書かれているが、原は「お前はジャイアンツで十五年間やってきて、胸を張って辞めていける」と激励し、元木は「また、一緒にやりたかったんですが、できなくなってしまいました。これからも応援していきますので強いジャイアンツを作ってください」と自分の思いを伝えた。

 後輩の阿部慎之助は当時26歳の若手選手。チームが大阪遠征中のため、元木が戦力外通告を受けたことすら知らなかった。「俺、もう解雇になったから」なんて受話器越しに語る先輩に対し、阿部は慌てて新聞を見て絶句する。

 これらは今から14年前の出来事だ。以前、元木本人にインタビューをした際に現役最終年のことを聞くと、こう答えてくれた。

「あぁクビだなと思ったから。ベテランだったら分かるよ。そういうの、自分が若い時から見てるんだから。先輩方が辞めていく時に、なんで一軍に呼ばないんだろうと不思議に思っていたら、その年限りでクビになってるみたいな。

 最終年はもう終わりだなと思った。イライラしたけどね。まだできるよって」

甲子園ではアイドル的なスター。

 巨人ではそのプレースタイルから“クセ者”と呼ばれた元木は、上宮高校時代は甲子園で歴代2位タイの通算6本塁打を放ち、端正なマスクからアイドル的な人気も誇るスター選手だった。

 小学生のときに後楽園球場で一緒に写真を撮ってもらった王貞治への憧れもあり、1989年のドラフト会議では巨人行きを熱望。

 だが、この平成元年の'89年ドラフトは野茂英雄や佐々木主浩が顔を揃えた歴史的な豊作年。巨人は早くから六大学の三冠王スラッガー大森剛(慶大)を1位指名と噂だったが、17歳・元木の甲子園での大活躍と実質的な逆指名に球団内部も揺れる。

【次ページ】 大森「高校生のくせに」

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原辰徳
元木大介
読売ジャイアンツ

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