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大阪桐蔭時代のライバル投手が贈る、
「背番号1」藤浪晋太郎へのエール。 

text by

谷川良介

谷川良介Ryosuke Tanikawa

PROFILE

photograph byAsami Enomoto

posted2019/05/04 08:00

大阪桐蔭時代のライバル投手が贈る、「背番号1」藤浪晋太郎へのエール。<Number Web> photograph by Asami Enomoto

藤浪晋太郎、澤田圭佑の2人に次ぐ存在だった平尾奎太。社会人野球でその実力を磨く日々だ。

平尾に襲いかかった腎臓の難病。

 新チームが発足した2年秋。平尾も藤浪、澤田に次ぐ3番手に昇格。背番号も18から11に変わった。甲子園への気持ちは自ずと高まっていた。

 だが、ここで平尾を悲劇が襲う。

 健康診断をきっかけに「IgA腎症」という、糸球体血管の炎症が原因で血尿やタンパク尿を引き起こす腎臓の病が見つかったのだ。初期段階では症状が出ない場合が多く、次第にめまいを起こしたり疲れやすい体となり、放置すれば透析治療が必要な腎不全などにつながる恐れがある難病だった。

 医師からは早期の治療と絶対安静を義務付けられ、手術の決断も迫られた。平尾にとって、野球をできない時間が何よりも辛かった。

「最初は体もバリバリ動かせたので、なんで入院せなあかんのやろって思っていました。もどかしい気持ちでいっぱいでした」

 平尾が病に倒れた直後の大阪府大会。大阪桐蔭の投手登録は2人のみ。平尾を加えた三本柱で大会を乗り切るつもりだったチームにとっても、突然の離脱は予想外のことだった。

お前を甲子園に連れて行く。

 そんな折、平尾に1本の電話が鳴る。野球部の仲間たちからの激励だった。

「まず、藤浪と澤田の2人にはごめんと言いました。すると藤浪は『秋は2人で投げ切るから。その間にしっかり治しておけ』と。安心したというか、頼もしかったですね」

 お前を甲子園に連れて行く。そんな藤浪の思いが平尾の力になった。春の選抜大会出場を決めたチームに追いつこうと、懸命に回復に努めた。担当医に頼み込み、1月始めにはグラウンドへ復帰、2月にはピッチングを再開した。本来なら長期間の安静が必要な状況の中、病気発覚から半年余りでメンバーに滑り込んだ。

 だが、平尾自身も本調子から程遠いこともわかっていた。春はチームの勝利のことを優先しよう。募る気持ちを抑えて、そう心に決めた。

 ベンチから戦況を見守った平尾には忘れられない藤浪の投球があるという。

 選抜大会の準々決勝、浦和学院戦。同点で迎えた7回裏、連打を浴びた藤浪はノーアウト満塁のピンチを招いていた。

「監督があの回だけで伝令を3回も送ったんです。この大会の勝負どころだということはすぐに理解できました。そんな緊迫した場面でも、そこから3者連続三振。特に2人目を三振に取った外角の真っ直ぐは、今まで見た中でも一番速かった」

 頼もしい藤浪の姿を見た平尾は、夏のマウンドに上ることを改めて誓った。

【次ページ】 「甲子園でさえ“自分の場所”」

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