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なぜ、球団は育てた選手を手放すか。
その裏にある痛みと愛情と哲学とは。 

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高山通史

高山通史Michifumi Takayama

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photograph byKyodo News

posted2018/05/25 11:00

なぜ、球団は育てた選手を手放すか。その裏にある痛みと愛情と哲学とは。<Number Web> photograph by Kyodo News

大谷翔平、ダルビッシュ有……彼らが抜けても力を保っているのが日本ハムの底力だ。

「他のチームでも活躍してくれた方が」

「自分が足を運んで、何度も何度も見に行って『これだ』と思った選手を指名できて、入団してくれた。その選手を、ほかのチームへ送り出すということは本当に寂しいんだよ。だけどね……ファイターズにいたら出場機会がなくなるかもしれない。それだったら、他のチームでもいいから、プロ野球選手として活躍してくれた方がうれしい。寂しいは寂しいけれど、それも本音なんだよ」

 ファイターズだけではなく、スカウトの方々すべてが抱く思い。敵味方ではなく、そうであると推察をする。

 移籍に関した事案での賛否の「否」のパーセンテージの高さ。有識者やファンの方々は「同一リーグとトレードはしない」など球界の常識ともされる慣例から逸脱した、異質な選手の「流通」に違和感を覚えるのだろう。

 ただ弊球団と編成権を持つチーム統轄本部は手塩にかけて発掘したアマチュアのスカウトの現場と同じ感性を共有し、しかもリアルに大胆に実践しているのだろう。

 ダルビッシュ投手、大谷投手のケースは本人の思いを尊重し、球団としても次のステップへと羽ばたいていくべきとの判断に、基づいている。一切、阻害をすることなく送り出した。それもある種の「情」である、と思う。

オープン戦で対面した鵜久森選手。

 オープン戦、真っ只中の3月だった。「OB」の1人と対面する機会に恵まれた。高校3年生の時、愛媛県松山市で彼と初めて出会っている。10代だった当時が思い出せないほど、程良く年輪が刻まれた表情で歩み寄ってきた。

「僕、もう14年目になりました。本当に、早いもんですね」

 ダルビッシュ投手が1巡目指名された2004年の8巡目が鵜久森選手である。

 ファイターズから2015年オフに翌シーズンの契約をしないことを通告されたが、不屈の精神で今も第一線に立ち続けている。

 ちなみに、鵜久森選手が入団した2004年ドラフト、チームの最下位9巡目指名の工藤隆人外野手も中日ドラゴンズで現役である。2人は大リーガーにまで上り詰めたドラフト同期と伴走している。プロ野球選手の平均からすれば、息の長い野球人生を歩んでいる。

【次ページ】 交流戦は再会できる期間でもある。

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