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厳寒ウランバートルで相撲文化を問う。
日本は育成制度でモンゴルに劣る!? 

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森哲志

森哲志Tetsushi Mori

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posted2018/03/08 16:30

厳寒ウランバートルで相撲文化を問う。日本は育成制度でモンゴルに劣る!?<Number Web> photograph by Tetsushi Mori

民主化運動の原点の地、スフバートル広場。1992年の新憲法発布が、モンゴル人力士が来日するキッカケとなった。

「モンゴルの学校・家庭には体罰がない」

 中学校から出てきた30代の教師は、例の暴行事件について、

「モンゴルの中学・高校でも体罰はないし、家庭生活でもきつく戒められている。あれ(しごき)は、日本で長く暮らした悪影響じゃないですか。ブフ(モンゴル相撲)でもしごいて強くする伝統なんてありませんから」

 連れの女性教師も「荒っぽいと見られがちな遊牧の世界でも暴力は最も嫌われている。強くても尊敬されないです」。

 人々の反応で共通しているのは、みな冷静に今回の事件を捉え、分析しているということだ。

 実はここに、モンゴルにおける昔日の相撲に対する考え方と、大きな変化があるのである。

朝青龍のために日本大使館に殺到した国民。

 朝青龍が治療と称して夏巡業に参加せずモンゴルに帰国、サッカーに興じて批判が巻き起こった際(2007年8月)には、国民の約8割が日本相撲協会を強烈に批判したと言われている。

 彼らは大挙してウランバートルの日本大使館に抗議デモに押し掛けた。感情を露わに我が横綱を擁護したのは熱狂的な相撲ファンに止まらず、国全体に反日ムードが漂うほどの大騒動となった。ウランバートルの相撲居酒屋『ブライハウス』は、モンゴル製ウォッカ「アルヒ」を手に、口角泡を飛ばす勢いで相撲協会を批判する客で溢れていたそうだ。

 今回の日馬富士事件に関して、そうした激しい動きは、熱狂的なファンを含めてほとんど見られない。日馬富士引退を惜しむ声こそ強かったが、擁護する声は意外に少ない印象なのだ。

 この落差は何を意味するのか。

 朝青龍事件からの10年の歳月は、一体モンゴルの何を変えたのだろう。

「一言で言えば、モンゴル人の相撲観が一変したということじゃないでしょうか」と語るのは、モンゴルのある新聞社の元幹部。

「モンゴルでは大相撲と経済発展は一体でした。切っても切り離せないんです」と意外な一言を発した。

【次ページ】 1992年に新憲法ができ、旭鷲山が来日した。

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