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“つたない英語”が高木美帆を変えた。
オランダ人コーチが支えた銀メダル。
posted2018/02/13 11:30
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph by
Tsutomu Kishimoto/JMPA
両手を挙げながら表彰台に跳び乗った。メダルを狙うという覚悟で五輪の大舞台に臨み、そして、メダルを獲った。十分に晴れがましい笑顔だった。
江陵オリンピックオーバルで行なわれたスピードスケート女子1500m。高木美帆(日体大助手)が銀メダルを勝ち取った。
15歳で出た2010年バンクーバー五輪では、銀メダルに輝いた女子チームパシュートの一員でありながら、準々決勝から決勝までの3レースで一度も出番がなく、1人だけメダルを授与されなかった。小平奈緒、田畑真紀、穂積雅子から、表彰式の後にそっとメダルをかけてもらうと、あどけなさの残る顔を少しゆがめ、複雑さの混じる笑みを浮かべた。
それから8年。どん底から這い上がった少女は、いつしか闘うアスリートの顔になっていた。
「もうちょっと行けたんじゃないかな? って」
「率直には、掲示板で2番という結果を見たときは、メダルを取れたといううれしさがあった。でも、ブストのタイムとコンマ2秒差というのを見たときに“もうちょっと行けたんじゃないかな?”って感じて……」
優勝したイレイン・ブスト(オランダ)との差は0秒2。銀メダルに沸く応援団からの歓声を耳にしながらリンクを流しているうちに、気持ちが変わった。
「金メダルを逃したという実感が湧いてきて、悔しい思いが後からこみ上げてきた」
2位では満足できない自分がそこにいた。
15歳で五輪の舞台を経験したが、世界を相手にまったく刃が立たず、19歳で迎えるはずだった2014年ソチ五輪では国内選考で敗れ、代表落ちの屈辱を味わった。
「悔しさを晴らしたり、雪辱を果たせるのは五輪しかない」
そう思い、スケートに人生を懸けようと決意したのはソチ五輪の後だ。おりしも、日本スケート連盟はメダルゼロに終わったソチ五輪から強化体制をガラリと変えた。2014年夏にナショナルチームを発足。高木美帆もすぐさまそこに入った。