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片岡治大の引退と“ともあきさん”。
「人見知りのあいつがこれだけ……」

posted2017/10/08 09:00

 
片岡治大の引退と“ともあきさん”。「人見知りのあいつがこれだけ……」<Number Web> photograph by Kyodo News

片岡の語り草と言えば、2008年日本シリーズの好走塁。佐藤から受けた教えは、ひとつひとつのプレーに生きていた。

text by

永田遼太郎

永田遼太郎Ryotaro Nagata

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Kyodo News

 今から10年以上も前のことになる。

 当時、ライターとして駆け出しだった筆者は、スポーツ総合サイトでライオンズの若手選手の連載記事を執筆していた。

 スマートフォンもまだない。タブレットもない。“ガラケー”全盛の時代である。

 大手メディアがウェブにそこまで力を入れていなかった時代であったし、他媒体のウェブ記者が球場に通う姿を見かけることもない。そんな時代だった。

 ぶら下がりで選手取材をする際も、まずは媒体の説明から入り“こういう記事を書きたい”と選手に伝え、理解を得るところから始まる。

 当初はよく分からない記者がいる、と選手の反応も薄かったが、連載を続けていくことで、好意的に取材に応じてくれる選手の数も徐々に増えていった。現在はライオンズの二軍打撃コーチ兼外野守備・走塁コーチの赤田将吾、東京ヤクルトの二軍投手コーチを務める小野寺力らは、それぞれ自身の公式サイトを立ち上げた関係もあってか、ウェブに早い時期から理解を示してくれた。

 また彼らの後輩にあたる栗山巧、炭谷銀仁朗、中村剛也や、そして今月1日にジャイアンツで現役引退を表明した片岡治大(当時は易之)もそういったタイプだった。

スパイダーマン片岡は、生真面目な男だった。

 片岡は当時、自他ともに認める“人見知り”だった。

 のちに「スパイダーマン」などのかぶり物で積極的なファンサービスを見せる明るい姿からは想像もつかないだろうが、プロ1、2年目の彼は、質問をしても一言、二言でコメントが終わってしまうことも少なくない、そんな性格だった。

 それでも、取材中に相手の目を見て対応する生真面目さが印象的だった。質問が続けば、足を止めて最後の質問が終るまでその場を去ろうとはしなかったし、ファンあってのプロ野球と言うことを当時から強く意識していた選手かもしれない。筆者も彼への取材で助けてもらうことが何度となくあったし、それは今でも感謝している。

【次ページ】 自分にも他人にも厳しい「ともあきさん」。

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