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「残念」ではなく「よく頑張った」と。
バドミントン山口茜、恩返しで優勝を。

posted2017/08/18 07:00

 
「残念」ではなく「よく頑張った」と。バドミントン山口茜、恩返しで優勝を。<Number Web> photograph by Yoshikazu Shiraki

安定して強いイメージの山口だが、その強靭なメンタルの背景には、地元の多くの人達の温かい応援があった。

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石井宏美(Number編集部)

石井宏美(Number編集部)Hiromi Ishii

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Yoshikazu Shiraki

「やっぱり、海外遠征に行って、その期間が長くなると日本に帰りたいな~とは思いますね。それで思い浮かぶのはやっぱり地元かな。ホッとする感じがあって」

 2012年に史上最年少でバドミントンの日本代表に選ばれ、翌'13年のヨネックスオープンジャパンで日本人初のシングルス優勝。'14年には世界トップ8人で戦うスーパーシリーズファイナルで3位に輝くなど、世界のトップ選手に成長した。

 そんな山口茜の原点は故郷・福井県勝山市にある。

 5歳でバドミントンを始めた山口は、2人の兄の練習に付き添ううちに自然とラケットを持つようになった。最初の頃はシャトルがラケットになかなか当たらず泣いたこともあった。負けると悔しくてまた泣くのだが、それでもラケットだけは離さなかった。

 小学生になると頭角を現し、7歳のとき全国小学生ABC大会で初の全国タイトルを獲得。全国小学生選手権で前人未到の4連覇を達成する。中学生になると、地元のクラブチームや高校の男子選手を相手に練習し、めきめきと力を付けた。世界ジュニア選手権では2度優勝を果たしている。

 高校進学の際は、強豪校へ進む選択肢もあった。

 しかし、山口は「これまで戦った仲間たちとともに上を目指したい」と地元・福井県立勝山高への進学を決断した。

世界選手権を辞退し、高校総体へ!?

 高校3年生の夏。出場すれば自身初となる世界選手権と高校総体、どちらに出場するかに注目が集まった。

 ‘15年5月から始まったリオ五輪出場を懸けたポイントレースの中で、世界選手権は最も得点が高い。それだけにできれば出場しておきたい大会だったし、誰もが世界選手権出場を選択すると考えていただろう。

 しかし、山口は高校総体の出場を決断する。

【次ページ】 地元、そして自分を支えてくれた人々への恩返しを。

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