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戦争と競馬、天才騎手の運命。
前田長吉が導いたクリフジ伝説。

posted2017/08/15 07:00

 
戦争と競馬、天才騎手の運命。前田長吉が導いたクリフジ伝説。<Number Web> photograph by Sadanao Maeda

1923年2月23日、青森県生まれの前田は、20歳3カ月の最年少記録でダービーを優勝。翌'44年までに通算勝率3割3分9厘という驚異的な成績を挙げた。

text by

島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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photograph by

Sadanao Maeda

 戦争に関するニュースが多くなるこの時期、ひとりの名騎手の存在が自然と思い出される。

 最年少ダービージョッキーの前田長吉である。

 前田は、1943(昭和18)年の日本ダービーを牝馬のクリフジで優勝。20歳3カ月の最年少ダービージョッキーになった。

 しかし、翌1944年、臨時召集されて旧満州に出征。旧ソ連に抑留され、終戦翌年の1946年2月28日、シベリアの強制収容所で戦病死した。23歳になったばかりだった。

「競馬界の沢村栄治」と言える前田は、「戦争に奪われた才能」として語られることが多い。確かにその通りなのだが、実は、前田は戦争によって見いだされ、生かされた才能でもあったのだ。

 それは、「競馬」というものが、いや、「馬」という生き物が、人類の歴史につねについて回る「戦争」と密接に関わってきたからでもあった――。

近代日本における馬匹改良のきっかけは戦争だった。

 古来より馬は力の象徴であった。多くの野生の馬がいた「牧(まき)」を支配した地方豪族は、やがて武士として権力を握るようになった。

 人間と長らく共生してきた馬は、また、チンギス・ハーンやナポレオンが示したように、戦争の形を劇的に変えた存在でもあった。

 近代日本における馬匹改良のきっかけとなったのも戦争であった。

 1894(明治27)年に日清戦争、1904(明治37)年には日露戦争が勃発。勝利を収めた日本は、欧米列強の仲間入りを果たした。しかし日露戦争では、馬を自在に操るコサック兵に大いに苦しめられた。また、在来和種がほとんどだった国産軍馬の馬格や輸送力、戦闘力が、欧米諸国の生産馬に比べて大きく劣っていることが明らかになった。

【次ページ】 富国強兵策の「活兵器」から、東京競馬会設立へ。

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