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宇賀神友弥、「やっと」掴んだ代表。
原口を手懐けた男に怖いものはない。

posted2017/06/13 07:00

 
宇賀神友弥、「やっと」掴んだ代表。原口を手懐けた男に怖いものはない。<Number Web> photograph by AFLO

もしかすると宇賀神友弥は、代表で最もベンチが似合わない選手の1人かもしれない。出場機会は得られるか。

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杉園昌之

杉園昌之Masayuki Sugizono

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AFLO

 29歳でようやくスタートラインに立つことができた。

「代表に選ばれました」

 5月25日、流通経済大の中野雄二監督は韓国から掛かってきた国際電話で、教え子の宇賀神友弥から直接、初招集の報告を受けた。はしゃぐようなうれしさよりも、「やっと」という実感がその声にはこもっていたという。これが偽らざる本心だろう。

 年代別代表の招集もなければ、全日本大学選抜などの経験もない。それでも本人には、代表クラスがそろう浦和レッズの左アウトサイドで走り続けてきた自負がある。2013年以降は絶対的なレギュラーとして君臨してきた。

 あるとき、大学時代の監督にもどかしい思いを漏らしたことがある。走力が売りのサイドバックがサプライズで選出されるなか、悔しさを募らせた。自分にはいったい何が足りないのか――。その何かを考え、壁を乗り越えるために心血を注いできた。

 浦和での現状維持に満足せず、向上心を持って新たなことにも取り組んだ。専門家を頼り、ランニングフォームを改善。今季はその確かな手応えを感じており、4月に浦和の練習場を訪れていた中野監督に「走り方を変えたら、プレーも良くなってきました」と充実感たっぷりの表情で伝えていた。

 吉報は、その約1カ月後だった。

「ずっと、努力を続けた結果ですね」

 無名の大学時代から成長を見守ってきた恩師は、「ずっと」という言葉に力を込めた。

大学の3軍で身につけたまたぎフェイント。

 宇賀神は窮地に陥るたびに武器を増やし、必死にキャリアを積み上げてきた。浦和ユース時代には西澤代志也(現栃木SC)とのポジション争いの末、当時本職だった右サイドから左サイドへのコンバートを余儀なくされた。左足を練習しないと、試合に出られない状況に陥ったという。

「右足しか使えなかったので、一番早く練習場に来て、左足の特訓をしていた」としみじみと振り返る。今では当たり前のように蹴っている左足クロスも苦労して身につけたもの。

 しかし、努力は簡単に報われない。浦和ユースからトップチームへの昇格は果たせず、流通経済大へ進学。そこでも壁にぶつかった。「3軍」相当のチームからスタートし、3年生までは「1軍」に呼ばれる気配もなし。大学で生きていく術として、ドリブルに磨きをかけた。現在、浦和の左サイドでよく目にする、またぎフェイントから縦へ抜ける形、中へ切れ込む形は大学時代に徹底して鍛えたものだ。

【次ページ】 ストッパーも、サイドバックも「問題ない」。

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