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川口能活、相模原で「もうひと花」。
サッカーの全てを楽しむために。
posted2016/02/09 10:40
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph by
Tsutomu Takasu
「今の場面は、ファウルしてまで止めなくていいぞ! 後ろに人がいるから」
「今のはファウルでも仕方ない。いいファウルだ!」
2月に入ったばかり。緑に囲まれた神奈川県相模原市の相模原ギオンフィールドで、川口能活の大きな声が響き渡っていた。
日本代表の“レジェンド”である彼は今季、J2のFC岐阜を退団し、J3のSC相模原に移籍した。若い選手が中心になるチームの主将を任され、ゲーム形式の練習では積極的にアドバイスを送っていた。
現在40歳。昨季はケガでほとんど出場できなかったが、まだまだやれる自信はあった。新天地を求めた際、真っ先にオファーしてくれたのが相模原だった。
相模原はホームスタジアムの座席数などがJ2の基準を満たしていないため、優勝を果たしても来季のJ2昇格はない。それでも彼は他のオファーを待たず、このクラブを選んだ。
練習を終えて自分で氷を取り出してひざにアイシングをしながら、クラブの代表を務める元日本代表の望月重良氏といくつか言葉を交わしていた。
この望月代表とのつながりが、大きな決め手だった――。
望月の「もうひと花、咲かせてほしい」という言葉。
「シゲヨシさんは『相模原に来ないか』と直接、声をかけてくれました。最初は(カテゴリーを落として)J3でやるってことに迷いもありましたけど、現役でやれるチャンスをもらったわけだし、家族とも相談して決めました。でもやっぱり大きかったのはシゲヨシさんの『もうひと花、咲かせてほしい』という言葉でした」
望月代表は川口にとって母校・清水商の先輩であり、清水商に入る際も勧誘を受けた。いわば、常に自分を気にかけてくれる存在。一昨年の暮れ、日本サッカー協会主催のトークショーで再会した際も「いずれは相模原でプレーしてほしい」と口説かれていた。
昨季はケガに泣かされた。
右ひざを痛め、春から長期離脱を強いられた。8月に復帰できるメドがついたと思ったその矢先、今度は別の箇所を痛めてしまう。岐阜では家族を置いての単身赴任。生活に必要な最低限のものだけを置いた1Kの部屋に戻ると、彼は己と向き合っていた。チームに貢献できていないというその思いが、彼を苦しめていた。