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“美学と矜持の男”の引退を惜しむ。
藤田伸二、「番長」の裏にある素顔。
posted2015/09/19 10:40
text by
島田明宏Akihiro Shimada
photograph by
Yuji Takahashi
京都競馬場でのことだった。モーゼの前で海が割れた旧約聖書のシーンのように、検量室前の人ごみがサーッと割れた。そこをひとりの騎手が前を見据え、歩いてくる。血管が浮き出た二の腕は首より太い。
藤田伸二。「番長」と呼ばれ、近寄りがたい雰囲気もあったが、フェアな騎乗で多くのファンや関係者に支持された、一流の乗り役だった。
その彼が、今年9月初め、故郷の札幌開催終了と同時に鞭を置いた。通常なら、競馬の年度が終わる2月末まで乗りつづけるのだが、JRAに騎手免許の取消願を提出し、引退を宣言。引退セレモニーなどは行わず、25年のキャリアに静かに幕を降ろした。
1991年にデビューし、39勝でJRA賞最多勝利新人騎手に。2002年から6年連続年間100勝以上を挙げ、JRA史上8位の通算1918勝をマークした。24歳だった'96年にフサイチコンコルドで制した日本ダービーをはじめ、GIを17勝。それらを含め重賞は93勝。'11年のドバイワールドカップではトランセンドで2着となり、日本馬によるワンツーフィニッシュという快挙をやってのけた。
一方、茶髪にしてタトゥーを入れ、'06年には飲食店での暴行騒ぎで3カ月の騎乗停止処分を受けたこともあった。
ここ数年は成績が低迷し、'12年は31勝、'13年は50勝と持ち直したが、'14年33勝、'15年18勝と、かつての勢いはなくなっていた。重賞も'12年以降はゼロ勝だった。
引退メッセージでつづった、ある不満。
競馬雑誌「ウマジン」のサイトに寄せた引退メッセージでは、次のように競馬界の現状に対する不満をつづっている。
「数年前からエージェント制度の強調により、騎手の腕など関係なく成績に偏りが生じて地方や外国人ジョッキー主体の流れが強くなりました。そうすると一生懸命に調教を頑張っている連中の活躍の場もなくなり、騎乗するチャンスも減り、昔の様にピリピリとして切磋琢磨な勝負の世界には程遠い環境になっているのが事実であります。エージェントにより、リーディングの順番が年頭から決まっているような世界。何が面白いのか?」
彼自身も、専属エージェントを亡くしてから勝ち鞍が伸び悩むようになった。
自分自身の力だけではどうにもならない世界で、ほとんど勝てなくなってもあがきつづける……というのは、彼の美学に反することだったのだろう。
馬上にいても、降りていても、独特の存在感のある騎手だった。それだけにファンとしては寂しいが、43歳という年齢や、彼らしい引き際といったことを考えると、仕方のないところか。