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「相撲人生の最後を楽しませてくれた」
若の里と元付け人・輝の巡業物語。  

text by

佐藤祥子

佐藤祥子Shoko Sato

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photograph byShoko Sato

posted2015/08/26 10:45

「相撲人生の最後を楽しませてくれた」若の里と元付け人・輝の巡業物語。 <Number Web> photograph by Shoko Sato

若の里(左)と輝。夏巡業での1シーン。2014年11月の初対戦時は、勝った若の里が「身内と戦うような、嫌な気持ちでしたね。もうやりたくないね(笑)」とこぼした。

「若関の夢を、今日こそ実現しよう」

 約3年にわたり幕下の地位で足踏みし、昨年11月、やっと新十両として土俵に上がった輝は、晴れて関取として参加した4月の春巡業で、若の里を誘う。静岡巡業で食事の約束を取り付けるも、その前夜、満身創痍の大先輩から、一本の電話が入った。

「ごめんな。せっかく誘ってくれていたのに明日からの巡業、体調が悪くて休むことになった……」

 ふたりの力士のささやかな夢は、「一時預かり」となっていた。

 この夏巡業の8月15日夜、その夢は叶う。それも、初めて付け人として食事に連れ出してもらった思い出の仙台で、あの時と同じ、牛タン専門店を輝は選んだ。「若関の夢を、今日こそは実現しよう」と鼻を膨らませ、財布を膨らませて挑んだ輝だったが、「最後まで粘ったんですけど、どうしてもダメでした。やっぱり勝てませんでした……」と苦笑する。

 土俵際、憧れの大先輩に、うっちゃられてしまったのだという。

「俺が昔に言ったことを覚えていて、声を掛けてくれただけで、それだけで嬉しいんだよ。待ってた言葉だ。それで十分だ。本気でお前に金を出してもらおうなんて思ってないから。ほら、達、今日は腹いっぱい食え!」

 17歳のあの頃のように、輝は腹いっぱい――この日だけは胸をもいっぱいに、懐かしい牛タンの味を、ただ噛みしめるほかなかった。

八戸巡業の朝。東奥日報が報じたある訃報。

 8月19日、若の里の故郷でもある青森の、八戸巡業の朝。東奧日報が、ある訃報をひっそりと報じていた。

 17日深夜に、若の里の父が心筋梗塞で急逝していたのだ。「まさか、本当か? いくらなんでもこのタイミングで……」「ドラマよりドラマじゃないか」――。それは関係者の誰もが、口々に驚くほどの現実だった。

 八戸を最後に、十両力士は巡業を打ち上げ、一足先に帰京するスケジュール。この日の取組の相手は、今回の夏巡業で常に若の里の横に明け荷を置き、ずっと寄り添うように傍らにいた輝だった。続く野辺地巡業で、ご当地出身力士として「特別参加」を許された若の里の、現役人生最後の相手は人気力士の遠藤だった。これは「日本相撲協会による番外取組」として、巡業部から若の里への、粋な“餞(はなむけ)”でもあったという。

【次ページ】 一筋の涙も見せず、巡業の後に実家へ駆けつけた。

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