相撲春秋BACK NUMBER
「相撲人生の最後を楽しませてくれた」
若の里と元付け人・輝の巡業物語。
posted2015/08/26 10:45
text by
佐藤祥子Shoko Sato
photograph by
Shoko Sato
それは、北陸・東北・北海道を廻る、3週間にわたった夏巡業初日の、支度部屋での会話だった。
「若関、あのぉ……仙台(巡業前夜)は空いてますか? 食事に付き合ってもらえませんか?」
「おう! 俺はいつでも空いてるよ」
幕内昇進を狙う十両の新鋭・輝(かがやき)の誘いの言葉を、結膜炎で充血した痛々しい目を細めながら、若の里は快諾した。
先の名古屋場所では、西十両十一枚目の地位で4勝11敗、幕下陥落が決定的となった若の里。かねてから「幕下に落ちたら引退」と公言していたが、即座に引退表明はせず。しかし、これが相撲人生最後の巡業となるだろうことは“暗黙の了解”となっていた。
若手期待の星の輝とベテラン関取・若の里との絆。
元安芸乃島を師匠とする高田川部屋所属の輝は、2011年5月からの約2年間、同じ一門の関取である若の里の付け人を務めた。ともに中学卒業後に角界の門を叩いた、生粋の「叩き上げ力士」だ。輝は本名の「達綾哉(たつ・りょうや)」の四股名で、当時の番付は三段目。17歳ながら190センチを超える長身で、注目される若手力士のひとりでもあった。
すべてが初めてづくしで、右往左往する“新米付け人”に、若の里は何気なく訊ねた。
「達、お前、北海道は行ったことがあるのか?」「……初めてです」「仙台は?」「……今回、初めて来ました」
ベテラン関取の若の里にとって、かつての自分を彷彿とさせる、すべてが初々しい仕込み甲斐のある後輩が「達」でもあった。
今、輝と四股名を変えた元付け人の「達」は、しみじみと当時を振り返る。
「若関は、『力士は、その土地土地のうまいものをたらふく食べて名産物や味を覚えるのも大事なんだぞ。食え、食え!』といつも腹いっぱい食べさせてくれていたんですよ。ある日、酔っ払って、『いつか、自分の付け人が関取になって巡業で一緒にメシを食い、奢ってもらうのが夢なんだよなぁ』と言っていたことがあったんです。『自分が関取になったら、若関をお誘いしてご馳走しよう』と、ずっと心に決めていました」