野球善哉BACK NUMBER
「短いイニングを全力」に適性が?
ロッテ・大嶺祐太、復活の場所は。
posted2015/04/22 10:50
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph by
NIKKAN SPORTS
ふと、高校時代の大嶺祐太の姿がオーバーラップした。
B型インフルエンザで離脱した金森敬之に代わって緊急昇格した4月19日のソフトバンク戦のことだ。
2点ビハインドの4回表、今季初の一軍マウンドに上がると、球威のあるストレートをぐいぐいと投げ込んでいく。3イニングを投げて、1安打無失点。ストレートは最速146kmをマーク。小手先の技術に走るのではなく、思い切り腕を振る。大嶺の真骨頂を久々に見た投球だった。
「ファームで投げていたときから、いかにストレートでファールを取れるかを目指してやってきました。今日も、コントロールはアバウトでもいいから攻めていって、強いボールを投げる意識でやってきました。いい感じで投げられたと思う」
思い起こせば大嶺という投手は、初めて世に知られた時から、その持ち味はストレートの球威だった。
田中将大、斎藤佑樹と同世代で甲子園を騒がせた。
高校3年春のセンバツ、沖縄の離島から初の甲子園出場となった八重山商工のエースとして聖地に見参した大嶺。初戦の1イニング目から、ストレート勝負で対戦相手の高岡商を圧倒した。145kmをゆうに超えるストレートを勢いよく投げ込み、9回17奪三振の完投で、その力を存分に見せつけた。
この大会は、大本命と言われた田中将大率いる駒大苫小牧が不祥事で出場を辞退するというなかでのものだったが、当時はまだ無名だった斎藤佑樹(早実)、ベスト4に進出して大ブレークを果たした前田健太(PL学園)らと共に、大嶺は大会をにぎわす存在の1人となった。
センバツでは2回戦で横浜に敗れたものの、同年夏の甲子園にも出場してベスト16に進出。田中・斎藤世代を代表する投手の一人として注目され、大嶺は千葉ロッテに高校生ドラフト1巡目で指名を受け、入団したのである。