オフサイド・トリップBACK NUMBER
初めて明かす甲府での3年間の秘話。
城福浩が語るプロヴィンチャの苦悩。
posted2015/01/08 10:30
text by
田邊雅之Masayuki Tanabe
photograph by
Tadashi Shirasawa
2012年から甲府を率い、J1昇格、そして2度の残留を果たした城福浩が、昨年限りで監督を退任した。はたして彼は「プロヴィンチャ(地方クラブ)」の指導者として何を目撃し、何を体得したのか。一人のサッカー人として、この3年間をどう総括し、再び未来に向けて歩み出そうとしているのか。
――3年に及ぶ甲府での監督生活が終わりました。今、どんな気持ちが胸に去来しますか?
「ちょうど先日、かかりつけの眼科や内科の先生に挨拶回りを済ませてきたところで。甲府は予算的に厳しい分、地元の様々な方々に薄く広くサポートしていただいているんです。僕自身、定期的に地元の医師の方々に診ていただいていたんですが、挨拶を終えて帰る時に、待合室にいた20人くらいの患者さんが全員で立ち上がって拍手をして下さった。サッカーに関心のないようなおじいさんやおばあさんたちも含めてです。
大都会のビッグクラブの監督だったら、絶対に同じようなことはおきない。あの光景を見た時にすごく救われた思いがしたというか、『ああ、自分は地方のクラブでやっていたんだな』と改めて実感しましたね」
決まった練習場がない「放浪生活」。
――甲府は予算の少ない「プロヴィンチャ」のクラブとして知られています。監督として率いられるのは、大変なことも多かったと思います。
「いつも言っている通り、世の中にはパーフェクトなクラブや組織なんてないんです。でも『放浪生活』、つまりクラブハウスや決まった練習場がない大変さは、経験してみないとわからなかった。
たとえばスパイクにしてもウェアにしても、プロの場合は練習場に7、8セット分くらい用意しておかなければならない。決まった練習場がないということは、それらの用具を毎回、全員で分担しながら運ぶことになる。
2012年は8カ所の練習場を点々としましたが、そのうちの4カ所は自分たちでゴールにネットを張るのは当たり前で、練習の前に白線を引かなければならなかった。グラウンドが固すぎて紅白戦がやれないようなケースもたびたびありました」