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入江陵介の笑顔がパンパシで再び!
五輪メダリスト、復活までの軌跡。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byYohei Osada/AFLO SPORT
posted2014/08/14 10:30
「2006年に初めて代表デビューした大会ですが、一度も金メダルを取ったことがないので、金を目指して頑張ります」と大会への抱負を語った入江。
“日本を代表する選手”に襲いかかった重圧。
一方で、「この借りを返したい」という思いも湧き起こっていた。
少しずつ気持ちが前に向いていくと、'09年に水着の問題から非公認とはなったが日豪対抗の200mで世界記録を突破。同年の世界選手権200mでは2位となり、オリンピック、世界選手権を通じて初のメダルを手にする。這い上がってきた経験がロンドン五輪での活躍へとつながっていったのである。
だが、再び危機に直面したのは昨年のことだった。
「日本代表を引っ張っていける存在になっていきたいと思います」
ロンドンでの活躍、代表歴の長さを考えると必然的に代表選手たちのなかで中心的な立場になっていた。その自覚もあった。だが、それが力みにつながってしまった。
日本選手権100mで萩野公介に敗れ、世界選手権でもメダルなしに終わると、「水泳をやめたい」と考えるところまで追い込まれた。
その後、東京五輪招致活動に携わり、招致が決定する中で「リオデジャネイロ五輪を目指したい」と前を向けるようになると、今度は椎間板ヘルニアに襲われる。
投薬と理学療法などで治療に努め、プールに入れるまで回復したものの、ターンやバサロといった動作が制限された。
「自分を表現できるのは水泳しかない」
思うように泳げない日々の中で、ふと、思ったことがあった。
「自分を表現できるのは水泳しかない。水泳が好きなんだ」
泳ぐことが出来ない時間は、スイマーにとっては「非日常」とまで言ってよいのかもしれない。だからこそ、もしかしたら当たり前のようなことになっていた「泳ぐこと」の大切さを再発見する契機となった。
迎えた今年4月の日本選手権では100、200mともに完勝。見事復調ぶりを見せつけると、笑顔で言った。
「止まっていた時計を動かすことのできた大会になりました」
6月のジャパンオープンでも、100、200mに加え、強化の一環から200m個人メドレーにも出場し、日本代表選手らを抑え優勝。
何度も挫折を味わい、危機に直面し、乗り越えてきた。そのたびに殻を破るように、たくましさを身につけてきて、今の姿がある。
「勝ちに行く」というパンパシフィック選手権は、そんな入江にとって、また1つ、次へ進むための糧を得る場所でもある。