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雨中のシエラネバダでの遭難と、
歩くことが求める「謙虚さ」。 

text by

井手裕介

井手裕介Yusuke Ide

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photograph byYusuke Ide

posted2013/08/08 10:30

雨中のシエラネバダでの遭難と、歩くことが求める「謙虚さ」。<Number Web> photograph by Yusuke Ide

遭難直前の井手くん。この時は雨中でも「かっこつけた」(本人談)写真を撮る余裕があった。

最後に再び微笑んだシエラネバダ山脈。

 雨中の渡渉は翌日も続いたが、この区間で唯一出会ったハイカーのAlexと協力して渡ることが出来た。

 まさに苦虫を噛みつぶしたような顔をして蚊に囲まれながらゆっくりと丸太を渡ったり、2人で文字通り支え合いながら川を泳いだり。

 大きな川を迂回し、2回に分けて渡った後、彼が後ろのハイカーを気遣って対岸に見えるようケルン(小石を積んだ道標)を作ることを提案した時、僕は自分のことでいっぱいいっぱいだったことを恥じた。

 だが、彼も僕と同じようにバックパッカーとしての経験がさほど多くはないようで、荒れ狂う川を前に見せた恐怖に満ちた顔を、僕は忘れることが出来ない。

 彼はTuolumne Meadows からPortlandまでの区間だけを歩いているらしく、かなりゆっくりしたペースだ。次に会う機会があるかわからないが、共に危機を乗り越えたことで、すごく強い絆が生まれたのを感じた。

 ヨセミテ国立公園の管轄を越える頃、晴れ間が戻ってきた。なんてタイミングだろう。ここでシエラネバダ山脈もおわりだ。

 僕にとっての「はじめてのシエラの夏」は美しいばかりでなく、最後に恐ろしい顔を覗かせた。そして、最後の最後には、再び微笑んだ。

「懲りずにまた来いよ」

 そんな風に言われているような気がしてならない。

「日本の音楽が恋しいかい」

 灰色のカローラが待ってくれているはずの峠に着いたのは、予定の時刻を4時間も過ぎた頃。ずっと峠で待ってくれていたTedは「あの風雨じゃ仕方ないさ」と僕を車に迎えてくれた。

 助手席には松任谷由実のベスト盤が見える。奥さんのものだろう。そんな僕の視線を察したのか、彼は「日本の音楽が恋しいかい」と笑う。

 僕が迷わず「アメリカのを」と応えると、彼は Bob Nolanの歌う"cool water "という、カウボーイソングのスタンダードナンバーを流しはじめた。

 痺れるような冷たさの川を渡渉してきた僕にとっては、悪いジョークだった。とはいえ、冷たい水を求めて前半の砂漠地帯を歩いてきたからこそ、シエラネバダを堪能出来たのだと、少し感慨にふける。

 とにかく、グレーのカローラは、峠をゆっくりと、降りはじめた。

Tedの待つ峠に着く直前に、歩き始めてから1000マイルのサインが。
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