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<新体操女子、汗と涙の青春> フェアリージャパンPOLA 「7人の妖精たち、ひとつ屋根の下」 

text by

佐藤岳

佐藤岳Gaku Sato

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photograph byKiyoaki Sasahara

posted2012/07/18 06:01

<新体操女子、汗と涙の青春> フェアリージャパンPOLA 「7人の妖精たち、ひとつ屋根の下」<Number Web> photograph by Kiyoaki Sasahara
Number誌の特別連載「LONDON CALLING~ロンドンが呼んでいる~」。
7月27日の五輪開幕に向け、このシリーズを全文公開していきます!

今回はNumber803号(5月10日発売)より、新体操女子・団体、
フェアリージャパンPOLAメンバーの青春グラフティーをお届けします。
この原稿が発表される直前、経験豊富な遠藤由華が骨折して離脱。
逆境に立たされた6人は、全員で乗り越えた過酷な練習の日々を胸に、
ロンドンの地で美しく舞うことができるか。

 2012年3月上旬。東京都北区にある味の素ナショナルトレーニングセンター内の練習場では、「フェアリー ジャパン POLA」こと新体操ナショナル選抜団体チームの面々が、マット上をせわしなく行き来していた。背後には、女性シンガーの歌声が心地良く響いている。一際、目を引くのは小作りな顔とすらりと伸びた手足で、真剣な顔つきは、時折、屈託のない笑顔に変わった。どこかあどけない印象が残るのは、メンバー7人の平均年齢が20歳以下という若さゆえだろう。

 昨年末に左膝の手術を受け、リハビリ続きだった主将の田中琴乃も練習の輪に加わっている。遠藤由華と共に数少ない北京五輪経験者の彼女にとって、団体総合予選10位で決勝進出を逃した前回大会の悔しさは、その後も競技を続ける原動力になったという。

選手たちに「先生」と慕われる、山崎浩子強化本部長の存在。

 傍らで練習風景を見守る強化本部長の山崎浩子が、凜とした声で言った。

「性分なんですよ。私、使命感でやってますからね、こういうことは。情熱がどうのこうのじゃなくて。使命感や責任感で。だから、人任せにはちょっとできなかった。『はい、やって』というわけにはいかないんです」

 田中らが「先生」と言って慕う山崎が、団体チームと共同生活を続けて、早7年目を迎える。その肩書きからすれば、常に現場に張り付く必要もないのだが、都内にある自宅には年に数えるほどしか帰っていない。

 ロンドン五輪に向けた新チームが結成されたのは'09年の師走。始動した当初は多くの困難が待ち受けていたが、彼女たちは壁を乗り越えるたびに、少しずつ輝きを増してきた。

「毎回、毎回、こうやんなさい、ああやんなさいって言うものでもないと思うんですよね。日本代表としてこうやっていきたいとか、メダルを獲るためにこうしたいっていう、芽生えや目覚めが一番大事なんだと思うんです」

 親子ほどの年の差がある少女たちに投げかける視線は、その内面まで見透かすような鋭さを秘めつつも、どこか温かい。山崎は何年もの間、彼女たちが目覚める瞬間を、すぐそばで待ち続けてきたのだろう。

スポーツライターを経て再び現場に戻り、団体競技の強化に着手。

 1984年ロサンゼルス五輪の個人総合で8位入賞を果たし、間もなく現役を退いた山崎は、スポーツライターなどを経て、2001年に再び競技の現場に戻ってきた。当時は、個人競技の強化副本部長として招聘され、3年後には、団体競技も含めて代表チーム全体を統括する強化本部長の職に就いている。

 新体操で用いる道具はロープ、フープ、ボール、クラブ、リボンの5種類。各種目を伴奏に合わせて演じるのは個人も団体も同じだが、5選手が同時に絡み合う後者は、手具の交換などもあって、構成がより複雑となる。

 個人で世界と伍してきた山崎だが、強化本部長として最初に着手したのは、この団体の強化だった。個人で如実に表れてしまう身体のサイズや運動能力の差を、団体では連携面で補える。集団行動が得意な日本の国民性を考えても、団体の方が世界に通用する可能性を秘めていると山崎は考えたのだ。

【次ページ】 プロポーションを重要視した、斬新なオーディション。

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山崎浩子
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