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<ナンバーノンフィクション> 草の根からの王国復活。~体操・田中和仁、佑典、理恵の三兄妹を育てた、体育教師の情熱~ 

text by

浅沢英

浅沢英Ei Asazawa

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photograph byToshiya Kondo

posted2012/07/21 08:00

<ナンバーノンフィクション> 草の根からの王国復活。~体操・田中和仁、佑典、理恵の三兄妹を育てた、体育教師の情熱~<Number Web> photograph by Toshiya Kondo
兄・和仁、弟・佑典、そして妹・理恵――。
3人そろってのロンドン五輪出場を決めた田中3兄妹の原点には、
父・章二とその盟友・伊熊博文という2人の体育教師の存在があった。
“体操ニッポン”復活のためジュニア育成に尽力してきた2人の情熱と、
長年に及ぶ草の根の活動を追った、
Number789号(2011年10月13日発売)掲載のノンフィクション。

「遥々モスクワからコーチを呼ぶことができて、ほっとしたという気持ちもありました。でもそれ以上に、これで自分たちのジュニア指導が、さらに前に進むかも知れないという期待の方が大きかった」

二人三脚で30年以上、体操競技の底辺を支え続けてきた2人。田中は61歳、伊熊は58歳になったが、いまなお指導に忙しい日々を送る

 11年前の冬に抱いた感慨を田中章二はそう語る。

 県立和歌山北高校の体育館に、ロシア最強と言われた選手養成機関ディナモの主任コーチ、アンドレイ・ズーディンがやって来たのは2000年1月のことだった。

 田中の3人の子どもたちの2番目、長女の理恵は、

「このひと、本当に体操やってたのかな」

 と思ったことを覚えている。

 通いなれた体育館にやってきた赤ら顔の体操コーチの、ドンと突き出た立派なお腹に、まだ小学校6年生だった彼女は驚いた。

 11年後の秋、遅咲きの才能を開花させた理恵が兄和仁、弟佑典とともに日本体操史上初の三兄妹代表選手として世界選手権の舞台に立つことを思えば、コーチ招聘の成果は確かにあった。だがディナモからコーチを呼ぼうという話が持ち上がったとき、それが実を結ぶことになるのか空回りで終わるのか確たるものは何もなかった。

2人の体育教師が抱いた世界選手権とオリンピックの夢。

 そもそも、このコーチ招聘は田中たちの手に負える仕事であったのかどうか。田中は体操協会の重鎮でもなければ、オリンピックや世界選手権で名を馳せた名手でもない。彼は北高の愛称で呼ばれるこの県立高校に勤める一介の体育教師に過ぎなかった。

 それでも田中は、呼んでみたかった。

 田中には伊熊博文という盟友がいる。親しみを込めて「熊さん」と呼ぶ伊熊との関係を「僕とはニコイチ、つまり2人で一人前」と田中は何のてらいもなく言う。

 伊熊もまた県立高校の体育教師である。

 彼らは週に1度、小さな子どもたちを対象にした体操教室のコーチを務め、そこで育ったジュニア選手をそれぞれの高校の体育館で指導してきた。そしてさらに、高校の体操部で卒業まで育て、大学へと送り出してきた。

 当時を振り返って田中はこう言う。

「熊さんとは、世界選手権とかオリンピックの代表選手を出したいなという話を、よくしていました。できれば、メダルを獲れるような選手を育てたいなと。今もそうなんですが、それが僕らの夢でしたから」

 ディナモからコーチを呼んだとき、田中と伊熊はその夢の半分を実現し、半分を実現できないでいた。そして彼らが草の根のジュニア育成に費やした時間は、すでに20年を超えていた。

【次ページ】 名門出身ながら、五輪には届かなかった田中と伊熊。

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