Sports Graphic NumberBACK NUMBER

<日本フェンシング第2章へ> 太田雄貴&男子フルーレ団体 「もうひとつのメダルは仲間とともに」 

text by

折山淑美

折山淑美Toshimi Oriyama

PROFILE

photograph byAsami Enomoto

posted2012/07/16 08:01

Number誌の特別連載「LONDON CALLING~ロンドンが呼んでいる~」。
7月27日の五輪開幕に向け、このシリーズを全文公開していきます!


今回は、北京五輪で個人銀メダルに輝いた太田雄貴と、
フェンシング男子フルーレ団体日本代表。
Number798号(2月23日発売)では、太田雄貴という個人に依存せず、
次の高みを目指す日本フェンシング界の冒険を追った。

「北京で僕や千田(健太)がベスト16で敗退していたら関係者の責任問題になり、日本フェンシングは消滅すると思っていました」

 '08年の北京五輪、フェンシングで銀メダルを獲得した太田雄貴は、当時の自分が担っていた責任の大きさをこう表現した。

 それに続けて将来への期待を膨らませた太田は、新たな目標を口にしていた。

「ロンドン五輪では個人戦の2大会連続メダルだけではなく、団体戦でのメダルも獲得したい。これまで一緒に戦い、大きな力になってくれた先輩の福田佑輔さんや市川恭也さんたちと果たしたいんです」

 太田の活躍で、一躍注目されるようになった日本のフェンシングだが、その躍進は太田個人の才能に依存したものではない。フェンシング協会がフルーレの強化に特化するという方針を定め、「500日合宿」などの策を実施することによって蒔いてきた“種”が、大きく花を開かせたのだ。

「太田のメダルだけで終わらせたくない」

 '03年秋にウクライナ人のオレグ・マツェイチュクが日本代表フルーレのヘッドコーチに就任して以来、日本チームは着実に力をつけていた。団体戦でも'07年にはW杯ロシア大会とチームW杯で優勝、一時はランキング1位に立つほどだった。

 だが、翌年の北京五輪で実施された団体戦は男女6種目中4種目のみ。メダルを狙える勢いを持っていた男子フルーレ団体戦は、種目そのものがなかった。

 出場すら叶わないという無念さもあり、オレグは北京五輪後に男子のコーチに専念する。

「太田のメダルだけで終わらせたくない。私は日本のフェンシングを強くするために仕事をしているんです」

 オレグの思いに引っ張られるかのように、福田、市川らベテランだけでなく、'07年世界カデ(14~17歳)優勝の三宅諒や、'08年世界ジュニア優勝の淡路卓ら若手も成長を遂げる。戦力的に分厚くなった日本チームは、'10年世界選手権で銅メダルを獲得。世界ランキングでも安定して上位をキープするようになった。

 ところが、ロンドン五輪を控えた昨年、日本チームは思わぬ苦境に陥ってしまう。

 昨年10月16日、イタリアのカターニャで行なわれた世界フェンシング選手権。

 ここで上位に入れば、団体の五輪出場権を得られる世界ランキング4位以内をほぼ確実にできる重要な大会だった。

<次ページへ続く>

【次ページ】 一時は個人戦世界ランキング21位まで沈んだ太田。

1 2 3 4 NEXT
1/4ページ

ページトップ