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特別な2011年をともに戦い抜いた、
日本とF1との揺るぎない「絆」。 

text by

尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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photograph byHiroshi Kaneko

posted2011/12/27 10:30

特別な2011年をともに戦い抜いた、日本とF1との揺るぎない「絆」。<Number Web> photograph by Hiroshi Kaneko

オーストラリアGPにて東日本大震災への支援の呼びかけをしたF1ドライバーたち。可夢偉の所属するザウバーをはじめとして、フェラーリ、メルセデス、ウイリアムズなど、全てのチームとドライバーたちが日本へのメッセージを送った

エクレストンはいち早く日本GPの開催を明言した。

 その後、原発問題が深刻となり、秋に予定していた日本GPの開催を危ぶむ声が夏場に入ってから聞こえてきたときも、F1はすぐさま立ち上がった。F1界のボスであるバーニー・エクレストンが「私たちは必ず日本へ行きます。そして、10月の日本GPは問題なく行われます」と、開催を明言。多くのドライバーもこれに続いて日本行きを宣言して、不安を最小限にとどめた。

 それだけではない。エクレストンは「バーニーシート」を創設し、東日本大震災の被災者1500組3000人を招待したのである。そのうちの200組400名に関しては被災地から観戦バスで招待し、帰りに東京で1泊するという超VIP待遇でもてなした。

 たった一人、日本人としてF1に参戦している可夢偉も、母国グランプリを趣向を凝らして盛り上げた。福島県南相馬市を中心に活躍する少女合唱団「MJCアンサンブル」のメンバーとその家族、関係者を日本GPに招待したのである。さらに「被災地の子供たちの歌を世界に届けることで、世界への感謝の気持ちと日本の元気と力を伝えたいと思う」(可夢偉)という理由から、レース前のセレモニーでの国歌斉唱を少女合唱団に担当してもらうことを提案。テレビ放送を通して、東北の人たちの美しく、力強い歌声が世界中に届けられた。

日本と世界、日本とF1との「絆」を再認識した2011年。

 人と人との結びつきが見直され、「絆」という言葉が流行した2011年の日本。

 しかし、その絆は国内だけでなく、日本と世界、日本とF1との間にも存在していたことをあらためて認識した一年だった。

 12月11日、2年目のシーズンを戦い終えた可夢偉は東北に向かった。いまだ瓦礫が残る被災地に足を踏み入れ、その思いを自身のホームページに、こう綴った。

「復興はこれから長い時間がかかるし、僕もできる限り協力していきたいとあらためて思いました。2011年は厳しい年だったので、2012年はみんなにとって楽しくいいことが起きてほしいなと思います」

 年が変わっても、F1はこれからも日本を励まし続けてくれるだろう。そんなF1をこれからも見守り続けてほしい。

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