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19年間を戦い抜いたF1界の鉄人。
バリチェロはこのまま引退なのか? 

text by

尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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photograph byHiroshi Kaneko

posted2011/12/18 08:02

19年間を戦い抜いたF1界の鉄人。バリチェロはこのまま引退なのか?<Number Web> photograph by Hiroshi Kaneko

ホンダが突然撤退宣言をした2008年よりは今の状況は悪くない、という主旨のコメントを発表し、新たなスポンサー探しに奔走するバリチェロ。それが事実ならば、来年も彼の姿をサーキットで見られるはずなのだが……

 最終戦ブラジルGPでは、常にルーベンス・バリチェロの周りが賑わっていた。

 いつもは地元のメディアしか集まらない会見に、ヨーロッパの記者たちが多数参加。スタート前のグリッドにはフェラーリ、そしてブラウンGP時代の戦友であるロス・ブラウンも激励に駆けつけた。それはブラジルGPが彼の母国グランプリという理由だけではない。史上最多出場記録を更新していたバリチェロが、チームから契約を更新されないまま2011年の最後のレースに臨もうとしていたからだ。

 バリチェロがF1にデビューしたのは、いまから18年前の1993年のことだった。'91年にデビッド・クルサードとの戦いを制してイギリスF3選手権のタイトルを獲得したバリチェロは、'92年に国際F3000で選手権3位の成績を収めると、'93年にF1にステップアップ。F1参戦3年目の新興チームであるジョーダンからのF1デビューの舞台は、開幕戦、南アフリカGPだった。

バリチェロのレース人生を変えた母国の英雄の死。

 デビューイヤーのバリチェロのチームメートは、前年フェラーリのステアリングを握っていたベテランのイワン・カペリ。しかし、バリチェロは緒戦となった南アフリカの予選からベテランをアウトクオリファイする華々しいデビューを飾るのである。その後、ケガや財政難からチームメートがシーズン中に何度も交替したものの、バリチェロはレギュラードライバーのシートを一度も明け渡すことなく2年目からはエースとして、チームを牽引していった。

 しかし、その2年目に不運が襲う。第3戦サンマリノGPのフリー走行中にタイヤバリアに激突するという大クラッシュに見舞われてしまうのである。右腕の打撲と鼻骨にヒビが入る負傷を負いながらも、「尊敬する母国の大先輩であるアイルトン・セナが見舞いに訪れたことに感激した」というバリチェロ。ところが2日後、そのセナが事故死を遂げる。そして、その日を境に、バリチェロのレース人生は一変する。

 エマーソン・フィッティパルディ、ネルソン・ピケ、そしてセナと3人のワールドチャンピオンを輩出しているブラジルのファンが寄せる母国人ドライバーへの期待は、日本人の想像をはるかに超えた次元にある。それまではチームメートに勝ち、ポイントを獲得すれば、上出来だった若手は、その日から亡きセナの後継者という十字架を背負うようになるのである。

【次ページ】 「セナの後継者」という重みに負けたフェラーリ時代。

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