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日本シリーズ第8戦 西武VS.広島] 秋山幸二「バック宙とデッドボール」 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

PROFILE

posted2005/04/28 00:00

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[1986年10月27日日本シリーズ第8戦西武VS.広島]秋山幸二「バック宙とデッドボール」

永谷脩=文

text by Osamu Nagatani

 1986年の西武×広島の日本シリーズは、史上希に見る大接戦となった。西武は3敗1分ののちに3連勝し、広島の本拠地に乗り込んでの最終戦を迎えていた。

 6回表。得点は2-0と広島リード。マウンドにはその日本塁打を放ち、乗りに乗っている金石昭人がいた。

 そのシリーズで打率こそ1割台だったものの、3打点と要所で仕事をしていた秋山幸二は、大田卓司を一塁に置いて打席に向かった。そして金石の投じた甘く入ったシュート気味の初球を叩く。打球はレフトスタンドへ飛び込む同点ホームランとなった。そして、ダイヤモンドを回りホームインするときに、あのバック宙が飛び出した。

 「その前年に初めて40本塁打を達成して、これから西武の中心選手になれるというときに、PL学園で甲子園を沸かせたキヨ(清原和博)が入団してきたんです。甲子園での彼の勇姿はほとんど見てないから、どれだけやれるのかなという感じだった。だけど、興味本位で見ていたら、3割31本塁打を打ってしまって、すごいなあと。こっちは41本打ったのに、なんとなく影が薄くなってました。それで存在をアピールしたいという気持ちもあったと思います。シリーズ前にいい場面でホームランを打ったら、バック宙をするとラジオ局の人に約束していたこともありました。だけど、そんな場面もないまま、最終戦になってしまった。

 あの試合、東尾(修)さんが金石さんにホームランを打たれちゃって、ベンチの中はお通夜みたいな暗い雰囲気でした。後がない試合で、エースが投手に打たれたわけですからね。相手は盛り上がって、こっちは意気消沈。そのムードを何とかしなければいけないなと思いつつ、打席に向かったんです。そこで出た同点ホームランでした。三塁を回ったところで、三塁コーチに『バック宙をやっていいですか?』と聞いたんです。そしたら、『一気にムードを盛り上げてくれ』って許可が出た。それでバック宙をやったんです。おちゃらけたパフォーマンスととられても仕方がないし、監督だった森(祇晶)さんは厳格な人だし、やりすぎかな、と心配もしたけど、ベンチの人たちが笑って拍手をしてくれたのでホッとしました。自分の中で、目立たないという殻から抜け出したいという気持ちがあったのだと思います。あれ以来、周囲からの注目度が上がって、その分期待に応えなければいけないという意識になったのは確かです。

 人間は周囲に注目されたい。期待されないとなかなか舞い上がれないじゃないですか。その時はチームが崖っぷちに立たされていたから、真剣に盛り上げたいと思っただけなのに、その後の野球人生のなかで、人生観が変わったという点で大きな意味を持つ“バック宙”だったと思っています。その結果、ブコビッチの決勝打で日本一になれたのだから、よかったかなと思っています。

 僕はペナントレースで437本、日本シリーズで15本のホームランを打っていますが、その情景はほとんど覚えていない。だけど、あのバック宙の1本だけは記憶に残っているんですよね。22年間の現役生活のなかでバック宙をやったのは、ペナントレースでサヨナラホームランを打った2回、日本シリーズでの3回なんですけど、ホークスに行ってからは1回もやっていないのは心残りです。もっとも、高知のキャンプなんかでは、いつでもできるように練習はしてたんですけどね」

 密かにバック宙の練習をやりながらも、ホークス時代に実現しなかったのは、実は腰を痛めていたためだ。これは福岡ドームの高いフェンスを越えられるよう、従来の低いライナー性から高い弾道の打球を打てるようフォームを改造した結果だった。だが、秋山はそれをひと言も漏らさずプレーし続けた。

 秋山がそんな態度をとるようになったきっかけは、'86年の日本シリーズで対戦した、広島の衣笠祥雄のひと言にあった。

(以下、Number626号へ)

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