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「北海道をなめんなよ!」 

text by

阿部珠樹

阿部珠樹Tamaki Abe

PROFILE

posted2004/09/22 00:41

 「落ちれ!」

 打球が上がったとき、佐々木孝介はそう叫んだ。標準語なら「落ちろ」だが、この際、生ぬるいことはいっていられない。北海道の言葉で叫ばないと切実さは伝わらない気がした。願いはかない、打球は中堅手の前に落ちて、走者が2人還った。逆転だ。前の打者の打球が走者に当たり、この回1点は入っていたものの、アウトが増えて、チャンスは潰えたかに思えた。

 「そういう場面だから絶対打ちたかった。とにかく、強い気持ちで」

 叫びも幾分かは後押ししていたはずだ。

 6対5。夏の甲子園の決勝。愛媛の済美高校と南北海道の駒大苫小牧高校との試合は、初回から容赦なく打ち合う消耗戦になった。先行した済美を3、4回で駒大が逆転する。佐々木の一打は大きな分岐点になるかに見えた。

 だが、それは単なる中間点だった。5、6回には済美が再逆転し3点差をつける。互いの投手の疲労は激しい。打者のほうは、回が進むにつれて、腰が据わり、鋭い打球を放つようになる。どう転ぶかわからない。

 6回裏、駒大は先頭打者が歩いた。監督の香田誉士史はここまで、無死一塁ではほとんど送りバントを選んできた。ここも当然それを考えた。「しかし」と一拍置いた。打者はここまで7割以上の打率を残している糸屋義典である。

 「当然バントは頭にありました。でも、なぜか、あの時は、糸屋なら打つと思ったんです。もちろん当たっていることもありましたが、それだけじゃない。予感というか、確信みたいなもの。かならず打つやつに打たせないのはもったいない」

 胸を叩いて、「打て」のサインを出した。ただ「打て」。走者一塁だから右方向に、という指示すら出さなかった。そのとおり、糸屋は思い切り左に引っ張った。鋭いライナーが左翼手の頭を越えていった。

 「低い当たりだったんで、フェンスに当たるかもしれなかったのに、糸屋のやつ、打った瞬間にガッツポーズなんかしちゃって」

 佐々木をはじめ、ベンチで見ていた選手たちはあきれたが、糸屋の判断は正確だった。打球は左翼スタンドに刺さった。

 監督の香田は、糸屋の打球やガッツポーズよりも、自分に驚いていた。

 「ほかの打者なら、絶対送りバントのサインを出していたでしょう」

 バントをさせず、不思議な予感の命ずるままに打たせた打者が2点本塁打という最上の結果を残す。オレの判断はどうなってるんだ。

 「正直、自分にびっくりしました。それと、これだけの試合をすれば、あとは負けても、よかった、よくやったといってくれるだろうって」

 糸屋の本塁打で1点差にした駒大は、さらに1点を挙げて追いつき、7、8回には4点を加えて、13対10で9回を迎えた。9回表の済美の攻撃をしのげば優勝である。

 駒大苫小牧は春1回、夏4回の甲子園出場になるが、今夏の初戦、佐世保実業に勝つまでは、一度も校歌を聞いたことがなかった。

 去年の夏は、1回戦で倉敷工業と対戦し、8対0とリードしながら、降雨ノーゲーム、翌日の再試合で敗れるというなんとも口惜しい経験をしている。主将の佐々木もそのメンバーのひとりである。

 「あの試合も口惜しかったんですが、そのあと、秋の北海道大会で同じ地区の鵡川に決勝戦で大敗して、選抜に出場できなかったのも同じくらい口惜しかった。だから今年は、絶対夏こそという気持ちが強かったんです」

 加えて、もうひとつ、刺激を受ける要素があった。1勝を挙げると、北海道のチームの夏の甲子園での通算勝ち星が50になる。1勝して、去年の口惜しさを晴らし、北海道勢としての区切りをつける。それが、今年の駒大苫小牧のテーマだった。

 「そういう目標がありましたから、佐世保実業との試合は私も、選手たちも、どうしても勝ちたいという気持ちが強かったし、勝ったあとは、解放されたというか、気持ちが楽になりました」

 監督の香田がいうように気持ちは楽になったが、対戦カードは楽ではなかった。2試合目の相手は、3年前の優勝校で強力打線の呼び声の高い日大三高、3試合目の準々決勝は、大会有数の好投手といわれる涌井秀章がいる横浜高校。ともに優勝候補である。

 だが、そんな強敵を相手にしても、駒大苫小牧のメンバーはひるまなかった。日大三高戦は打撃のチームに打撃戦を挑み打ち負かした。横浜戦は涌井を打ち込んだだけでなく、岩田聖司、鈴木康仁の投手リレーで1点を与えただけの完璧な試合内容で制した。準決勝の東海大甲府戦も10対8の打撃戦を制し、北海道のチームとして、はじめて夏の決勝に進出した。

(以下、Number611号へ)

駒大苫小牧高校

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