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殿堂入りの山田に学び、奮起を誓う渡辺俊介。 

text by

永谷脩

永谷脩Osamu Nagatani

PROFILE

posted2006/12/21 00:00

 日本シリーズを4年連続で制し、今やすっかりパ・リーグの時代となった。地域密着の人気球団が増え、「人気のセ」というフレーズも今は昔だ。

 かつてのパ・リーグを支えた大エース、山田久志の野球殿堂入り祝賀パーティが、12月3日、700人を集めて盛大に行われた。当時のパ・リーグはなかなか観客席が埋まらなかったが、本物のエースがいた。阪急の山田、近鉄の鈴木啓示、西武の東尾修、ロッテの村田兆治……。相手が先に降りるまで絶対にマウンドから降りない、そんな意地が見えた。エース同士の対決で勝ち星は食い合ったが、4人とも名球会入りを果たしたのだからたいしたものだ。

 壇上で、山田入団当時に阪急の監督だった西本幸雄が、こんな話をした。

 「ドラフト1位なのに、脊椎分離症で1年間使いものにならんという。スカウトになんで獲ったのかと怒ったら、必ず役に立つと言い張る。でも3年目に22勝して、今度はこっちが感謝しなければいけなくなった」

 284勝をあげた大投手も、最初は勝ち星をあげるのに苦労したということだ。

 「ヤマさんでもそんな時期があったのか。1年ぐらいで落ち込んじゃダメですね」

 そう言ったのは、会場にいたロッテの渡辺俊介である。「下手投げの存在感を再認識させてくれたありがたいヤツ」と山田が感謝するアンダースローの後輩で、今では、手首を縦に使うか横に使うかといったサブマリン論を戦わす関係だ。

 昨季は、ロッテの日本一に貢献。今年のWBCでもいい投球をしたが、シーズンでは最後まで調子があがらず5勝11敗。有効だった緩い球が意のままにならず、力んで打たれるパターンが目についた。

 '71年の日本シリーズ第3戦、山田は9回2死から王貞治にサヨナラ3ランをくらった。翌春のオープン戦のことだった。山田が王に「次は打たれませんよ」と勢い込んで言うと、「ヤマ、野球って抑える時もあれば打たれる時もあるから楽しいんじゃないか」と返ってきた。肩の力が抜けたという。

 回り道は肥やしになる──。歴史を積み重ねてきた先輩のパーティで、渡辺は来季への手がかりをつかんで家路につく。

 「自然体こそが最良のピッチング」という山田の言葉を思い出しながら。

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