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プレーの支えは好奇心。世界の青木が殿堂入り。 

text by

三田村昌鳳

三田村昌鳳Shoho Mitamura

PROFILE

posted2004/05/20 00:00

 「世界を視野に、戦いの旅に出たい――」

 プロゴルファー・青木功がそう決意したのは、'78年のことだった。

 もちろん、それまでにも世界で戦った経験はある。でもそれは、日本の代表として、招待を受けて戦いに行くだけのものだった。

 '78年のマスターズ。青木は1打差での予選落ちを喫した。最終ホールの最後のパットは、たとえ沈めても予選落ちの動かない1打だった。だが、その1打のことを、青木は酒を飲みながら、僕にしみじみと語ったのだ。

「俺は必死にあのパットを入れようと決めたんだ。これを外したら、この先の自分がなくなっちゃうような気がしたんだよ。俺は今、36歳。この歳になってやっと、棒(クラブ)を振っていることがゴルフじゃないって解りかけてきたんだ。ゴルフは技術だけでも勝てない。精神だけでも勝てない。言葉にすると簡単で、当たり前だけど、“心技体”が大切なんだね。ちょっと遅いかも知れないけど、でも一生、気がつかないよりいいよな……」

 僕は思わず言葉に詰まった。「そうですよ、遅いということなんてないはずですよ」と年上の青木に言ったような気がする。

 その秋、青木は世界マッチプレーに優勝し、本格的な世界への挑戦の旅を始めた。

 '80年の全米オープンでは、ジャック・ニクラスとの死闘の末に2位となる。その3年後には、日本人選手として初めて、ハワイアンオープンで優勝した。50歳を迎えると、'92年から米シニア(現チャンピオンズ)ツアーに参戦。'97年には同ツアー賞金ランキング3位となり、これまで通算9勝を挙げている。

「もっと日本の若手に世界に挑戦して欲しい。いま丸山茂樹君が頑張っているけど、世界という舞台で戦うことは、辛さ以上に自分自身だけが感じることのできる喜びがあるんだよ……。好奇心を忘れちゃいけないよ」

 その円熟したプレーぶりは、個性ある「アオキのゴルフ」として海外でも人気を博す。

 4月22日、青木の日本男子初のゴルフ世界殿堂入りが明らかになった。今年の8月で満62歳。今なお、戦い続ける姿が世界に認められたのだろう。

 再び、僕は青木の言葉を思い出す。

「好奇心という電車に乗ってここまで来た。いずれ駅に降りなければいけない時がくるなら、できるだけ長く電車に乗っていたい」

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