3年前の夏、2年生の“怪物”スラッガーは、一人の静かなエースの前に4打席3三振を喫した。自身にとってもチームにとっても想定外の敗北――。両者の雌雄を決したポイントは、どこにあったのか。
「これ、ボールでしょう? こうやって改めて見たら、メッチャ高いですねぇ」
淡々と話していた中田翔の声のトーンが急に変わり、新発見でもしたかのように同意を求めてきた。3年前の夏の、あの4打席を振り返るため、モニターに第1打席の、それも第1球の様子が映し出された瞬間だった。
「打席にいたときは、ああストライクか、という感じで受け取っていて、ボールだなんて全然思っていなかったんですけどね」
どこか他人事のように聞こえる語り口。だからこそ逆に、どれほど悔しかったかが伝わってくる。その悔しさこそが、プロではバットマンとして生きる道を選んだ彼の出発点にもなっているのだ。
「天狗になっていた」中田、斎藤は「ノーマークでした」。
2006年8月12日、第88回選手権大会の7日目第4試合。2年生の中田翔が4番に座る大阪桐蔭は早稲田実業のエース・斎藤佑樹と対峙した。早実は開会式直後の第1日目に鶴崎工業を13対1で下し、大阪桐蔭も同日、横浜を11対6という大差で破っての2回戦進出。第2戦までのインターバルは共に5日間。相手を分析する時間は十分あったが、中田は斎藤を「ノーマークでした」と振り返る。
「自分たちの力を普段通り出せば手こずるピッチャーではないだろうと周りも言っていたし、自分もそう思っていました。
今思えば、ホッとした部分が絶対にありました。横浜戦の後のことは一切、考えていなかったですからね。あの横浜にあれだけ大差で勝てたので、チーム全員が天狗になっていたとも思います」
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photograph by Hideki Sugiyama