史上34人目の2000本安打を確実にした横浜・石井琢朗(5月10日現在)。入団はドラフト外、投手としてである。足利工高時代は、ノーヒットノーランを2度達成し、甲子園にも出場するなど、栃木球界ではその名を知らぬ者はいないピッチャーだった。
プロ入り後、イースタンリーグの最優秀防御率を獲得。さらに一軍でも、19歳にしていきなり初勝利をあげ、2年目にはジュニアオールスター出場を果たした。しかし、以降は勝ち星に恵まれなかった。
通算1勝4敗という成績にあえいでいた3年目に野手転向を決断。忠徳の名を琢朗に変え、心機一転を図った。秋にはポジションを奪う。翌年から我慢して使い続けたのは、当時の監督、近藤昭仁(現巨人ヘッドコーチ)だ。投手出身で遊撃手に転向した選手には、松井稼頭央(メッツ)や川相昌弘(中日)がいるが、近藤の目には「石井の足の速さと肩の強さ、そして練習好きは群を抜いている」と映った。「塁に出たらとにかく走らせた」という近藤野球に育てられ、'93 年には盗塁王を獲得する。
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photograph by Hideki Sugiyama