#615

記事を
ブックマークする

横浜・種田が誓う牛島監督への恩返し。

2009/03/08

 横浜・種田仁は15年目の今季、プロ2度目となる3割を達成したが、本人は満足していない。まだ自分の打撃術は進化すると信じているからだ。ベテランながら秋季練習にも参加を志願した。中日時代に世話になった牛島和彦が新監督に就任したことも種田にとって大きな励みになっている。

 波留敏夫とのトレードは'01年のシーズン途中のことだった。前年に3割を打ち、中日の幹部候補生として期待されていると思っていただけに、種田にとってはショックだった。その時、中日の先輩で同じような経験をしている牛島に相談したのだ。牛島からのアドバイスは「どこに行っても野球をするのは一緒、横浜で骨を埋めるつもりで頑張れ」というものだった。フロントから「いずれ古巣に戻って指導者になるための勉強をしてこい」と言われていたが、それに対しても「そんな甘い考えでは、移籍先にも失礼だし、生き残っていけない」と厳しく諭された。その年、横浜にはオリックスから小川博文というベテラン内野手が移籍してきていた。そんなチームで競争に勝つには覚悟して臨む必要があると気づかせてくれたことに種田は深く感謝した。実際、横浜で種田は若手の育成というチーム方針の中、常に競争を強いられてきた。今季も二塁には内川聖一、三塁には村田修一、吉村裕基がいて、彼らと競った上での成績。3割打ったからといって安閑とはしていられないのである。牛島監督からも「油断したら後がないのがベテランだから」と伝えられている。種田も「誰もが若い選手を使いたいのはわかるけど、そんな崖っぷちの緊張感が自分を若くしている気がする」と考え、横浜に来てからは起用法などについて不満を口にしたことはない。「使ってくれているんだと思えば感謝になる」というのがその理由だ。ある意味では都合のいい選手となることで生きてきた。そんな種田を、若手の内川は「僕にはないしぶとさを持っている」と評している。

会員になると続きをお読みいただけます。
オリジナル動画も見放題、
会員サービスの詳細はこちら
特製トートバッグ付き!

「雑誌プラン」にご加入いただくと、全員にNumber特製トートバッグをプレゼント。
※送付はお申し込み翌月の中旬を予定しています

0

0

0

前記事 次記事