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「あの環境であと数日練習できていれば…」世界選手権と北京五輪、羽生結弦の4回転アクセルは何が違ったのか。<本田武史×無良崇人の対談解説>
羽生結弦が北京五輪で挑んだ4回転アクセルは、フィギュアスケートの歴史に大きな足跡を残した。現役時代に4回転アクセルを練習したことのある2人の先駆者、本田武史と無良崇人は、全日本選手権と北京五輪の羽生の挑戦に、ある違いを見出していた。
―本田さん、無良さんはともに現役時代に4回転アクセルを練習されていました。今回は技術的な視点から、羽生選手の進化や技術を語っていただきたいと思います。まず、全日本選手権で挑んだ4回転アクセルは、どのような特徴があったでしょうか。
本田 全日本選手権の時は、ジャンプの高さや回転のピッチの速さが以前より上がっている印象でした。最終的に、北京五輪ではアクセルの助走のカーブを変えたのですが、全日本選手権はまだ跳び方を模索している時期だったと思います。
無良 全日本選手権は直線的に入って行く助走でした。自分が回転をコントロールしやすい入り方を求めていった結果、まずはこの跳び方だったのだと思います。
―右足のバックインからチェンジエッジでバックアウトに乗り、すぐに左足で踏み込む、という跳び方です。リンクのロングサイドを直線的に助走していくものでした。
本田 これは彼が一番得意にする跳び方で、ここ数シーズンのトリプルアクセルはこの跳び方でした。身体に染みついているリズムのまま、右足から左足に移し替えるときに毎回同じところに左足を置くことができます。練習を重ねる過程で大事なのは、同じ失敗を繰り返しながら感覚を作って行くことです。「さっきは右過ぎた、今度は左過ぎた」と失敗の内容がバラバラだといつまでたっても安定しませんからね。そのため、慣れた跳び方を選んでいたと思います。
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