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[芸人仲間の証言]錦鯉 泥濘から掴んだ浮上の光

2022/12/03
ようやく頂点に立ったときには、既に50歳と43歳になっていた。史上最年長で手にした栄冠。その軌跡を辿ると、泥水の中でも前に進み続けた2人の姿と、彼らを慕い支える芸人たちがいた。

 石神井公園駅から徒歩20分ほど離れた閑静な住宅街。その中に建つ築30年の6畳一間、家賃4万円台のアパートに引っ越した日を、芸人の原澤たこやきはよく覚えている。すでにアパートの住民だった先輩の錦鯉・長谷川雅紀から「部屋に来てくれ」という呼び出しがあり、歓迎会を催してくれる期待に胸を膨らませながらドアをノックした。すると顔を出した長谷川が開口一番、「たこやきくんごめんね。1000円貸してくれる?」と手を合わせた。

「ボケじゃなくて、本気なんですよ。40代後半の先輩が『これで煙草が買える!』って喜んでました。しびれましたね」

 それは2018年のこと。ライブに通うお笑いファンの間では、若手芸人が切磋琢磨する中で年齢が頭二つ分は飛び抜け、バカバカしさの純度が高い漫才で笑わせてくれる錦鯉は名が通った存在だった。しかしライブシーンを一歩出たメディアの世界、いわゆる全国区になると無名でしかなかった。それから3年後の年末、M-1優勝で名前を轟かせるまで何があったのか。

 錦鯉の2人の人生が交差したのは、'05年にさかのぼる。前年に大手芸能事務所、ソニー・ミュージックアーティスツ(以下SMA)内に発足したお笑い部門「SMA NEET PROJECT」は、芸人の分母を増やす方針を掲げ、他事務所に所属できなかった芸人を来る者拒まずの姿勢で次々と採用していた。

 そこに2週間違いで入ってきたのが、北海道から上京してきた長谷川のコンビ・マッサジルと、他事務所を辞めて組み直した渡辺隆のコンビ・桜前線だ。立ち上げから現在までSMAを統監してきたマネージャー・平井精一が振り返る。

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photograph by M-1 GRANDPRIX

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