'83年菊花賞。シンザン以来19年間現れなかった三冠馬が誕生した。「ゆっくりのぼって、ゆっくりくだる」が定石とされる京都の坂を、最後尾から一気に駆けるその姿に、多くの人々が夢を見た――。
ミスターシービーが三冠馬になってからもう39年になる。
調教師の松山康久は定年引退してから茨城県つくば市に移り住んだ。緑豊かな学園都市を毎日自転車で走っているという松山は79歳とは思えないほど元気で、学生が集まるカフェで待ってくれていた。
1980年の夏に松山が撮ったミスターシービーの写真がある。オーナーの千明牧場(群馬県)が母親のシービークインを預けていた岡本牧場(北海道浦河町)で見たミスターシービーは「惚れ惚れするほどすばらしい馬だった」と松山は言った。
「容姿端麗というかな。顔が凜としてうつくしい。こぼれるような目をしててね、瞳が真っ黒なんだよ。父親のトウショウボーイもきれいな顔をした馬だったけど、顔はシービークインに似てたかな。それで、皮膚は薄くて、ビロードみたいに輝いていて、血管まで透けて見えた。皮膚が薄いということは、伸縮性に富んでいるわけで、全身バネというか、弾力性があってね……」
松山の話を聞きながら、わたしも、若いときに見たミスターシービーの姿や走りを思いだしている。
デビュー戦は逃げきりだった。父も母も逃げ先行を武器としたスピード馬だったから、ミスターシービーもそうなるだろうと、このとき、だれもが思った。
ところが2戦めの黒松賞は勝つには勝ったがスタートが悪かった。3戦めのひいらぎ賞では大きく出遅れ、直線で猛然と追い込んできて、勝ったウメノシンオーに首差まで迫った。このときのレースぶりで騎手の吉永正人がクラシックの手応えをつかんだというのは有名な話だ。
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photograph by JRA