“超人”の練習パートナーをつとめた男は、あの衝撃的な光景を忘れられない。
それは藤本博史がドラフト14巡目でオリックス・ブルーウェーブ(当時)に指名された2001年オフのこと。神戸にあった旧選手寮「青濤館」の廊下の向こうから、メジャー1年目でMVPを獲得し凱旋していたシアトル・マリナーズのイチローが、自分を目掛けて一目散に突進してきた。
「“何で連絡しないんだ!”って。びっくりしました。だってあのイチローさんですよ! 自分のことを覚えていてくれたなんて思いもしなかったですから」
その1年ほど前、二人はキャンプ地のアリゾナで顔を合わせていた。社会人野球を経て渡米した藤本は、捕手としてマリナーズのマイナーキャンプに参加した際、トレーニングルームでイチローに挨拶。何度か食事をご馳走になったが、自分とは世界が違うスーパースターに連絡をとることなど考えもしなかった。ところが、イチローはその後も藤本を案じてくれていたのだ。
再会のその夜からイチローの個人練習に誘われ、以来19年間、神戸での自主トレに加わった。その年ごとにメンバーは変わるが、毎年欠かさず参加したのは一人だけだ。張り詰めた空気のなか、藤本はイチローのフリー打撃で決まって投手役をつとめた。
「自分も選手だった当初は楽しんでいました。どこに放ってもあらゆる角度からバットが出てくる。まるでキン肉マンの“アシュラマン”みたいなんですよ。でもバッティングピッチャーが仕事になってからは、物凄い緊張感でしたね。意識するのは極力同じフォーム、同じ間合い、同じスピードで、同じコースに投げること。動作がひとつでもずれたら、打つタイミングが変わってしまう。だから自分の肩のケアにも細心の注意を払いました」
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