甲子園のヒーローとして、数々の伝説を作った男は、時代を背負った怪物のラストマウンドをひとり見届けた。世代は違えど共感を抱く存在に寄せた特別な思い――。
10月19日の夜、清原和博は都内のマンションに戻ると、リビングの灯りをつけ、テレビの電源を入れた。松坂大輔の最後のマウンドを見届けるためだった。
画面に西武ドームの人工芝が映り、照明に浮かぶマウンドに松坂が立った。
「18番が似合うな。ライオンズの18番が日本で一番似合うなと、思いました」
清原はその姿に見入った。
松坂との不思議な繋がりを初めて意識したのは1998年の夏だった。その年、かつて自分が主役だった甲子園に新たな英雄が出現していた。松坂を擁する横浜高校は、奇しくも清原の母校PL学園と準々決勝でぶつかった。巨人軍の4番としてシーズンを戦っていた清原は、その渦中で彼らの延長17回に及ぶ死闘に釘付けになった。
「自分が高校を卒業してから唯一、このピッチャーと夏の甲子園を戦ったら絶対に負けていたと思った相手が松坂です。そう思ったのはいまだかつて松坂しかいないです」
後輩たちの勝利を願っていたが、一方で夏の甲子園の頂点に相応しいのは松坂だろう、という思いがどこかにあった。
そして、その秋のドラフト会議、松坂の入団交渉権を獲得したのは、彼が意中の球団としていた横浜ベイスターズではなく西武ライオンズだった。その姿が、かつての自分と重なった。だから清原は巨人番の記者たちにコメントを求められると、あえてこうコメントした。
『西武はいい球団ですよ。松坂くんは3年で1億円プレーヤーになると思います』
きっと松坂に届くはずだと思った。
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photograph by Hideki Sugiyama