日本サッカー史上初めて、3度目の五輪に臨む。9年前、あと一歩届かなかったメダルを獲るために。キャプテンが尊敬してやまない名守護神とともに、東京への決意とオーバーエイジの心得を語り合う。
――名古屋グランパスのアカデミーにいた頃から知る吉田選手が、3度目の五輪に臨みます。プロ入りした当初、楢崎さんはどんな印象を持っていましたか。
楢崎 ユースや高校からトップチームに入ってきた新人を何人も見てきた中で、他の選手とは違う雰囲気はありました。本田圭佑も独特の存在感を持っていましたけど、彼とも異なる大人の雰囲気というかね。
吉田 大人の雰囲気、出てましたか(笑)。
楢崎 見た目も含めて、ね。
吉田 高校3年の時、高円宮杯準決勝の前に、トップチームの選手たちから激励をもらって。ナラさんからキャプテンマークを手渡されたんです。「うわ、楢崎正剛だ」って、緊張しまくったのを覚えています。
――楢崎さんが五輪に出場したのが、2000年のシドニー大会。吉田選手は、まだ小学6年生でした。
吉田 どこまで勝ち進んだんですっけ?
楢崎 おい! オリンピアンだろ! 知っとけ(笑)。ベスト8だよ。
吉田 高橋尚子さんがサングラスを投げたのは覚えているんですけど……。
――PK戦の末に敗れた準々決勝のアメリカ戦では、味方選手との激突によって顔面を骨折しながらのプレーでした。
楢崎 もったいない試合でしたし、勝たなければいけなかった。試合中、骨が折れているかは分からなかったんですけど、鼻血が全然止まらなくて。「もし勝っても、準決勝は無理かもしれないな」と思いながらプレーしていました。だから、しっかり勝って、次戦は別のGKに託そうとイメージしていたんですけど。悔しかったですね。
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photograph by Takuya Sugiyama