高校時代、父の本を整理していて本書を見つけた。昭和15年(1940年)出版、ページが茶色に焼けたボロ本だった。作者がなぜ東南アジアを漂っているのか分からない。自分のことを書かないのだ。それでも強烈な読後感で、忘れられない一冊となった。十数年後、本文庫が出て解説を読み、世評高い自伝3部作『どくろ杯』、『ねむれ巴里』、『西ひがし』と進んで、この紀行が5年に及ぶ海外放浪の一部なのを知った。ほとんど無一文で日本を脱出したのは、妻を恋人から引き離すためなのだが、そんな事情は本書にはまったく出てこない。
「川は、森林の脚をくぐって流れる。……泥と、水底(みなぞこ)で朽ちた木の葉の灰汁(あく)をふくんで粘土色にふくらんだ水が、気のつかぬくらいしずかにうごいている」。書き出しでつかまった。パリに向かう旅の始めと終わり1928年と'32年に巡ったシンガポール、マレー半島、ジャワ、スマトラの“散文詩”だ。オランダ、イギリスの支配のもとに暮らす現地人、ゴム園経営で進出してきた日本人、日本人が開いた鉱山で、「阿片すいたさに、こいつらは地獄の餓鬼になって働く」中国人労働者たち、40歳を過ぎた“からゆきさん”と彼女らを食い物にする女衒まで。悲惨さにたじろぎの気配を感じさせながらも、作者の眼は人々の営みを見つめ揺らがない。そして、人、動物すべてを包むアジアの自然の描写が圧倒的だ。
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