柳川高校テニス部監督(のちに総監督)として高校総体団体14連覇を達成、福井烈(JOC常務理事)、松岡修造らトッププロを育てた古賀通生(みちたか)さんが7月、81歳で亡くなった。
総体初優勝は1967年。創部からわずか5年目の快挙だった。原動力は猛練習。休みは正月だけ。朝練と午後の練習のほかに夜練習があり、終わるのは10時か11時、時には深夜3時に及んだという。
振り回しという、テニス選手にはおなじみの練習は古賀が考案したとも言われる。野球で言えば千本ノック。矢継ぎ早にボールを送り、コートの端から端に走らせる。息は上がり、足はもつれるが、はいつくばった選手には「起きろ、ここからが本当の練習だ」と叱責が飛ぶ。いつ終わるとも知れぬ、しごきのような練習だ。柳川で野球部を甲子園に導いた古賀は、次は庭球部と意気込み、指導経験のない競技の指導に取り組んだ。バレーボールの“鬼の大松”大松博文監督の指導も参考に、ほぼ自己流で選手を鍛えた。
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photograph by Hiromasa Mano