小学生時代の夏休み、校庭での野外映画会で『心臓破りの丘』を観た。1953年、山田敬蔵がボストンマラソンで優勝した翌年だ。本書の第4章「ボストンマラソンと戦後復興」を最初に読んだのは、映画で我がヒーローとなった山田を知りたかったためだ。小柄な山田が走る姿はボストンで「転がる葉っぱ」と呼ばれた。戦中は満州に渡り、敗戦で置き去りにされ帰国は終戦1年後だ。60年もたって知った苦難の経歴は小学生が勝手に想像していた人物像に重なった。
いつの時代にもマラソン・ランナーのヒーローがいたような気がする。東京五輪の円谷幸吉の栄光と悲劇、君原健二のストイックな走り。著者が史上最強とする瀬古利彦。神宮外苑絵画館前でヤクルト戦の準備練習をしていた巨人の監督・長嶋が「外苑ランナーに速いのがいるぞ。誰か勝負してみろ」と選手に声をかけた。「無茶だ。あれは瀬古です」。「道理で速すぎる」外苑一周してきた瀬古を見送る長嶋さんの驚きの顔を思い出す。宗茂、猛兄弟にアウトサイダーの中山竹通……。'80年代後半まで続く日本マラソン界黄金時代の群像劇は、本書のハイライトだ。
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