バンクーバー五輪の後、充たされぬ思いが残った彼女は、
さらに完璧なジャンプを求めて、新たなコーチを迎える。
しかし、アスリートとして“3回転半”にこだわるあまり、
本来の力を出せぬまま、2人は葛藤を繰り返していく――。
自己の極限を目指して戦い続けた、2年間の軌跡を追った。
さらに完璧なジャンプを求めて、新たなコーチを迎える。
しかし、アスリートとして“3回転半”にこだわるあまり、
本来の力を出せぬまま、2人は葛藤を繰り返していく――。
自己の極限を目指して戦い続けた、2年間の軌跡を追った。
トリプルかダブルか――。これほどまでアクセルの回転数に注目が集まったシーズンも無かっただろう。2012年フィギュアスケート世界選手権、浅田真央はその大技に2度挑戦するも失敗。昨季と並ぶ自己ワーストの6位に終わった。浅田はいま何を求めているのか。佐藤信夫コーチ(写真)と歩んだ2年間を振り返ると、彼女の本当のゴールが見えてくる。
'10年のバンクーバー五輪では、ショートとフリーでトリプルアクセルを計3本成功させた。技術的には女子最高峰の演技を見せたが、五輪後、浅田はジャンプの見直しを決意した。
「結果的には跳べていたけれど、形が良くなかったり、リズムが崩れたり、年々乱れていました。正しいジャンプを基礎から習えば、質も上がるし難しいバリエーションができる。まずは全種類のジャンプを入れたいです」
実際、五輪での浅田は、苦手とされるトリプルサルコウとトリプルルッツ、さらに3回転の連続ジャンプも無い構成だった。トリプルアクセル以外にも、得点源のジャンプを作る。それが五輪後、最初に立てた目標だった。
「正しいジャンプ」を求め、浅田は佐藤信夫コーチの門を叩く。佐藤は基礎指導に定評があり、豊富な経験に基づいて戦略をたてる。一方の浅田はそれまでの4年間、外国人コーチと深い意思疎通を図れず、自分の感覚のみで戦ってきた。戦い方が異なる2人は、葛藤からのスタートになった。
「すごく波があったシーズンでした」(浅田)
まず昨季に取り組んだのは、技術面での改革だ。ジャンプの修正、そしてより伸びやかなスケーティングの習得を同時に行なった。
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photograph by Tsutomu Kishimoto